母はこのごろ、私のことをときどき「まっちゃん」と呼ぶようになった。「まっちゃん」て誰?
それは、小学生のとき同級生だった女の子の名前だ。10数年前、渋る母をデイサービスに誘い出したとき、偶然にもそこで母は、まっちゃんと数十年ぶりに再会したのだった。「わぁ、まっちゃん」「みよちゃん!」と肩を抱き合うような出会いとなって、母はよろこんでデイサービスに出かけるようになった。
まっちゃんには、私もおぼろげな思い出があった。美容師さんで、理容師のご主人と、美容院と理髪店の2つのドアのある大きな店を構え、小学生のころ髪をカットしてもらいに行ったことがある。小柄ではつらつとした人だったけれど、あれから50年近くもたって母と同じように体が弱り、記憶もあいまいになってきたのか。30代だった人が働き詰め働いているうちに、いつのまにか80代になってしまった人生の長いようで短い時間を想像した。
母の口から「まっちゃん」という名前がひんぱんに出てくるようになり、そのときはいつも楽しそうな表情だから、2人はいつも話しこみ名前を呼び合いいっしょにごはんを食べて、子ども時代に帰ったように親密なひとときを過ごしていたのだろう。
残念ながら数年して、そのデイサービスは経営者が変わりやがて閉鎖されて、母はやめざるを得なくなり、まっちゃんのその後もお元気なのか亡くなってしまったのか、もうわからない。
でも、別のデイサービスに移っても、母はにこにことバスに乗り込み出かけていく。別のまっちゃんに会うために。誰かと会えば2人にしかわからないようなやり方でおしゃべりをし手を握り合い、涙を流したりしていい時間を過ごしているのだと思う。きっと母は相手を「まっちゃん」と呼んでいるのだろう。
母にとって、いまここにいるじぶんをまっすぐに見て話してくれる人はみな「まっちゃん」なのかもしれない。いつしか、私にも、「まっちゃん、ありがとう」とか「まっちゃん、いてくれてよかった」とかいうようになり、その頻度は増している。
介護も15年をこえて、私はこういう事態にも、ついに娘の名前もわからなくなったかなどとあせったりあわてたりすることはなくなった。「はーい、まっちゃんですよ」と胸の中でつぶやく。
そして、気づく。一人称の「わたし」であるじぶんに向きあってくれる二人称の「あなた」が、人には必要なのだ、と。そこには必ずしもことばはいらない。目と目を合わせたり、肩をなでたり、わたしとあなたは、そうやって会話して気持ちを通じ合わせことができるのだ。ここにいてくれるあなたは、遠くにいる三人称の彼や彼女とはまったく異なる存在で、わたしの中に入り込み、つながって安心をもたらしてくれる。
はいはい、なりましょうともあなたのあなたに、おかあさん。そんなふうに胸の内で応え、そして笑ってしまう。どこまでいっても折り合いが悪く、口を開けば言い争っていた思春期をはるかに過ぎて、母と私はことばを介さず、存在と存在として理解しあっているんじゃないか…。
もちろん、いいことばかりではない。私の感情を母はクリアな鏡のように映し出す。眉間のしわは、くぐもった表情のわたしの眉間のようだし、荒っぽい口調は、さっき母に投げつけたいらだった私のことばそのものだ。お、今日のその笑顔は私が上機嫌だからだね。
何年もかかって、機嫌よく接することの大事さに、ようやく私は気づかされた。
とはいっても、日々、平かな気持ちでいることの何と難しいことだろう。いまのじぶんをどこか遠くから俯瞰するように見ていないと、そうはふるまえない。
こういうことは母が教えてくれたことといっていいんだろうか。衰えていく人がその姿をさらしながら気づかせてくれることがある。世間的にいえば、母はもうここがどこか、いまがいつかもうわからない認知症の老人だ。でも、そこにそうやっているだけで、私に、人についての理解を、人と人のかかわりの意味を教える。あの人は認知症、あの人は○○などと簡単にレッテルは貼るまい。
母は、若かったときは想像もつかなかったようなおだやかな顔で、いまここにいる。長いつきあいの中でかかわりを変えながら、私はいっしょに庭の緑を眺めている。