モスルの解放作戦がはじまってから2か月以上がたつ。
ナナカリー病院は、モスルの中心部からは80㎞くらいは離れているアルビル市内にあるがん病院だ。モスルにもイブンアシール病院というガンを扱う病院があるが、いまだにIS(イスラム国)の支配下に置かれている。驚いたことに、ISに支配されていても、逃げずに残った医者は、子ども達に化学療法を行っていた。
モスル近郊の村は、イラク政府軍と、ペシュメルガと呼ばれるクルド自治政府軍、そしてアメリカを中心とした多国籍軍の攻撃で、ISが次々と撤退している。ISから解放されたのはいいが、今までイブンアシール病院に通っていた患者はもはや、ISには行けないから、イラク軍に連れられてナナカリー病院まで連れてこられる。ナナカリーの医者は、「モスルからの患者は、プロトコールを持ってきます。驚くべきことに、ちゃんと抗癌剤を使って治療をしていたようです。」
救急車で難民キャンプから連れてこられる患者さんもいて、病院は大混雑だ。モスルからの患者は全体の3割近くを占めている。当然薬が足らなくなる。外の薬局で薬を買わなければならない。数千円する薬ばかりだ。着の身着のままで逃げてきた人が、薬を買ってしまったらそれこそもう何も手には残らない。買った薬のレシートを持って患者の親たちに囲まれてしまう。
今日は大みそかだからちょっと奮発してある程度そういうお金を払って上げようと病院に出かけた。最後の日だからというので、患者であふれている。薬を処方してもらいに来るが残念ながら病院にない薬がおおい。
いかにもモスルから来たというお母さんが、直腸がんで、抗がん剤が効かず、手術をしなければならないので支援してほしいという。その費用が3000$。いきなりめげた。僕たちは子どもの支援しかしていないのでごめんなさいというしかない。
そして廊下を歩いていると、いかにもモスルから来たというおっさんが座っている。いかにも本当にモスル出身だとわかってしまうからつい声をかけてしまった。「3日前に、逃げてきたんですよ。息子が3人とも血友病なんです。薬を注射しないといけないんです。」
彼の村はまだ銃撃が続いている。イラク軍のいるところに逃げて保護され難民キャンプに収容されているそうだ。FECTOR 8という特殊な薬が必要なのだが、病院にはない。いや、正確にはあるのだが、すでにそれは今まで病院に通っている子の薬だから、回すわけにはいかないのだ。
親父と一緒に町中の薬局を探し回ったが結局手に入らなかった。
「モスル(IS支配下)では、薬は手に入ったのに! どうしたらいいんだ」
親父は涙を浮かべていた。
「心配しないでください。夕方になったらあく薬局があるから」といって夕方また薬局を探してみたが見当たらなかった。
結局大みそかなのに、一人の患者も支援できずに年を越してしまった。
米軍が、モスルの病院を誤爆したというニュースが入る。とうとう、イブン・アシール病院が壊されてしまった。まだモスルに残っているがんの子どもたちは一体どうすればいいのだろう。
そして、2017年が始まった。病院は1月2日から開く。さらにごったがえすだろう。