拒否する勇気

さとうまき

春がやってきたというのに、気分が晴れない。その要因の一つにガザの惨状がある。もう半年になるのに、イスラエルは、戦争を続けている。僕たちはヒステリックにパレスチナに連帯し、
「今こそ停戦、パレスチナを解放せよ!」と叫ぶ。でもその声はどこにとどくのか?

フォトジャーナリストの森佑一さんは、イスラエルの人質解放のデモを取材した際、彼らには、ガザの人々のことなど眼中になく、身近な人のことしか考えていないことに理解を示しながら、平和構築の道を探らなければいけないと発信していた。

“SNS上で「パレスチナに関心を持たない人は非人道的だ」とか「パレスチナのことに沈黙している人は虐殺に加担しているのと同じだ」いったことを発信する人を散見するのですが、そんなことを言うこと事態ナンセンスだなと思ってしまいます”という。ナンセンスという言葉にひっかかった人は数人いたが炎上するまでには至らなかった

森さんは、昨年12月から今年2月までイスラエル・パレスチナに滞在。特にイスラエル側の平和運動に注目して取材したそうだ。暴走するイスラエルを止めるには、イスラエルの良心しかない。そこにどう寄り添えるのか森さんの見たイスラエルを紹介する会を設けることにした。4月6日 ポレポレ坐➡https://ispale-240406.peatix.com/

僕はというと、先日、高校でガザの話を頼まれた。「なぜ、ホロコーストを経験したイスラエルがここまでやるのか?」という疑問が高校生の中にもあるという。そこで、イスラエルの人達がどう考えているのか、森さんの記事も参考にしていろいろ調べてみた。

ヌリット・ペレド教授は、テルアビブ大学で、イスラエルの教科書でパレスチナがどのように描かれているのかを研究している。1948年のイスラエルの建国は、ユダヤ民族にとって輝かしい歴史であるが、その一方で70万人以上のパレスチナ人が難民となった。難民は結果ではなくて、パレスチナ人を難民として追い出すことで、ユダヤ人が大多数を占めるユダヤ人国家が建国できたのである。「民なき土地を、土地無き民へ」というシオニズム運動が正しかったことを教えるのがイスラエルの教育だ。つまり、イスラエルの教育の中にはパレスチナ人が存在しないのである。

ヌリットはゆがめられたイスラエルの教育を強く批判している。「学校の教科書は、イスラエルのパレスチナ領土占領政策を実施するために18歳で軍隊に入隊する少年を対象としている」。つまり、軍隊に行かないという価値観は教育からは生まれてこないということである。

1997年、私が初めてパレスチナで暮らし始めた時、立て続けにハマスの自爆テロがあった。その一つが、ベン・イヤフダ通りのカフェで起きたもので、現場を通りかかると、イスラエル警察が壁にへばりついた肉片を、DNA鑑定か何かに使うのだろう、ピンセットで採取していた。そのわきで、ユダヤ人たちが大声で論争をしていた。その時に亡くなった13歳の少女が、サマドールでヌリットの娘だった。当時の新聞から抜粋したものを「いのちってなんだろう」コモンズに書いた。

ヌリットは、「私はテロリストを憎むことはしません。イスラエルの政策がテロを生んでいるのです。娘はそうしたイスラエルの政策の犠牲者です。構造的にこの問題に取り組むべきです」と語っていた。そして、イスラエル・パレスチナ双方の犠牲者の家族に声をかけて、遺族会を作り、復讐ではなく、構造を変えていく活動を広めている。

ヌリットの父はマティ・ペレド将軍だ。イスラエルの独立戦争を戦い、1967年の第三次中東戦争では、先制攻撃を進言した立役者である。いわば、パレスチナ問題の根源を作り出した人物である。確かにパレスチナ問題をさかのぼれば、イギリスの3枚舌外交あたりから始めるのが妥当なのだろうが、もはや、イスラエルの問題は、占領だとしたら、このペレド将軍の功罪は大きい。しかしタカ派の軍人は、西岸ガザへの侵攻は、軍事的脅威に対抗するための純粋な軍事作戦として考えていた。イスラエルが占領した領土をその後何十年も占領し続けることや、併合・占領を目的とした入植地を設立することになるとは全く考えていなかった、と繰り返し、占領政策に激しく反対し、極左といわれるまでの平和活動家、政治家に代わっていた。アラビア語も学びヘブライ大学にアラブ文学科を創設したのも彼の偉業である。PLOとの対話もオスロ以前から言い続けていた。ヌリットは、このように本人が当事者としてイスラエルを変えようと尽力している。

兵役を拒否する勇敢な若者たちもいる。イスラエルは良心的徴役拒否が法律で認められている。しかし、パレスチナ人への暴力が嫌だからという理由は認められない。パレスチナの人権を奪ってイスラエルを守る事は良心そのものであり、それが嫌なら刑務所に入ってもらうということになる。またイスラエル軍は、兵役中に高等教育も受けられ、身に着けた技術で起業する人たちも少なくない。国が彼らに優遇的な融資をする。そんなにメリットの多い軍役を拒む若者はごく少数である。

徴兵拒否という映画は、イスラエルの高校生アタルヤが周囲から孤立しながらも、占領政策に疑問を抱き徴兵を拒否するに至る心の葛藤を表している。徴兵拒否者を支え、占領を終わらせようというNGOの存在も紹介していた。https://www.youtube.com/watch?v=GpdKhsUZow4
同じ世代の日本の高校生に紹介したいと思い、改めて映画をみて、僕自身も勇気づけられた。

ガザ戦争が始まって兵役を拒否する高校生はまだ数人しかいない。それはイスラエルが行ってきた教育のせいだ。これだけガザでひどいことが起きても、パレスチナ人を無視して、自分たちのストーリーを作っていく。軍のオペレーションを何らためらうことなく受け入れる教育がなされてきているのだ。

ヌリットはいう。「イスラエルの子どもたちは、従うことだけを教わった。”拒否する”ことを教わっていないのです。だから、”拒否する”ことを教えていかないといけません」
ガザの惨状ばかりが報道されるが、パレスチナ人の人権のために闘っているユダヤ人もいる。そのことがまだ、人間に可能性を感じる。そして他のユダヤ人も変って行けるのではないか。

日本でも同じだ。同調圧力はいじめにつながる。たとえ周囲と浮いてしまっても正しいことをつらぬく勇気を持ちたいし、そういう子たちを支えるシステムが必要だ。これからの世界は若者がつくっていくのだ。