最後の一日

さとうまき

今日で平成が終わる。イラクにいると全く実感がわかないのだが、なんやかんやと偶然が重なり、時代の節目であることは実感している。さて、最後の一日を振り返る。

朝、起きる。ここアルビルは、なぜか雨が続いたが、暑い一日がやってきた。太陽がぎらぎらとあざ笑うように照り返す。風はまださわやかなのに。こちらの連中ときたら、花粉症でゴホゴホやっている。菜の花やタンポポや、ひなげしやらの草花の花粉だろうか? 僕たちは、シリア人難民キャンプに向かっていた。

こちらでは、ラマダンが始まる前に、食料の配給が久しぶりにあるらしい。男たちは、日雇いの仕事を求め、働きに出ているから、体格のいい母さんが子どもを連れて買い物車を押して段ボール箱を嬉しそうに持って帰る。仕事のない若者は、鍛え上げた上腕で段ボール箱を方に担いで歩いている。

国連難民高等弁務官事務所も長期化するシリア難民への予算はカットされ、食糧配給をもらえる人たちは限られていた。それが、ラマダン前ということで、全員にふるまわれる。天皇が変わるのとは関係がないが、なんだかおめでたいものが偶然重なっている。

キャンプの近くには高速道路の工事が始まっている。難民たちは仕事がもらえることを期待している。今までは、国連やNGOが難民らを食い物にして荒稼ぎをしていた。若い難民はハイエナのようにうろつく。自分たちが食おうとしている肉は、「シリア難民」だということなど気にせずに。しかし、そんな構造は過ぎ去って、大きな公共事業に、今度は健全に群がっていく。

学校に行くと、子どもたちがわさわさ寄ってくる。
「僕は祖国が大好きなんだ!」
1960年代に活躍したパレスチナ人作家のガッサン・カナファーニが描いた(昭和時代の)難民たちとここにいる(令和時代を生きていく)難民たちの何が違うというのか。シリアでは難民といえば、パレスチナ人を象徴する言葉だった。祖国を持たない民。それが、祖国があるのに帰れないシリア難民がいるという時代。まるで、ミルフィーユのように難民の苦悩は重ねられていく。ん、なんだかそういう表現ではないな。

僕らが、活動している難民キャンプはアルビルから車で45分、丘陵というが、実は小麦畑だったり、スイカ畑だったりたまにコメが植えてあったりという大地のど真ん中にキャンプが作られている。今日のお仕事は、「偉そうにふるまい」キャンプのマネージャーに圧力をかけて、シリア難民のがんの患者家族が住まわしてもらえるようキャンプ内に住居を確保してもらうことだ。難民が頼んでも拉致があかない。僕が偉そうにすれば、動いてくれるんじゃないかとがん患者の家族は期待していたから、あまり得意ではないが、それなりに偉そうにして見せた。マネージャーは丁寧に対応してくれた。うまくいきますように。

キャンプから帰って。病院に様子を見に行く。救急病棟にオマル君がすやすやと寝ていた。ここには10人ほどの患者がいる。オマル君は、モスルのガイヤラというところから通っている。「イスラム国」が敗走するときに油田に火を放って煙をもくもくあげていた写真を見た人もいるだろう。オマル君は昨年、神経に腫瘍ができてそれを取り除いて、下半身がマヒしてしまった。寝たきりで、床ずれがひどい。先週は、大雨が降り、チグリス川に道がつかってしまい、ゴムボートでお父さんがオマル君を担いできた。

オマル君は、「イスラム国」との戦争で多くの人々が殺されるのを見て、精神的なショックを受けたという。「時には泣いてしまうほどの痛みが出現する日々の中で、私たちに対していつも「ありがとう!」と言い、人に心配かけまいという気遣いからか、「大丈夫、元気だよ!」と溢れんばかりの笑顔で答えてくれます。彼の存在は私たちだけでなく、周囲の人々を癒やしてくれます。10 歳のオマルくんから、いろんなつらい経験を乗り越えてきた強さ、逞しさを感じます」と3月までイラクに派遣されていた金澤看護師は語っている。

僕は、オマル君にあい、一生懸命話しかけてくる彼の笑顔の虜になった。
「何しているときが楽しいの?」と聞くとゲームだという。うちの息子と同じ歳。僕はあまりゲームを買い与えるのは好きではないのだが、普段あまり何もしてあげられないからクリスマスには任天堂のスイッチを買ってやったことを思い出した。その時は、人間いつ死ぬかわからない。死んでしまう前に、スイッチくらい息子に買ってあげればよかったと後悔しないようにだった。オマル君は下半身が動かないからゲームして何がわるい?

「わかった。買ってあげる」スイッチは高かったので、エックスボックスというのを一万円ちょっとで買ってプレゼントし、モスルに戻るときに持たせた。一週間もせずに戻ってきた。お父さんが、目を赤くしてやってきた。「疲れ切っているんだ」と説明し、そして、ガラケーで写したエックスボックスで遊んでいるオマル君の写真を見せてくれた。医者から何か、言われたのだろうか。

しばらくしてオマル君が、「しんどい、しんどい」とうめき声をあげた。看護師がやってきて薬を点滴する。「なんの薬?」オマル君が看護師に聞く。「痛み止めだよ」オマル君は納得したようにうなずいた。看護師が、別の患者のところに行くと、点滴のチューブを見つめていたオマル君が「空気。空気がはいってくるよ」お父さんが慌ててカニューラから空気の粒を抜いた。痛み止めの薬が効いてきたのか、オマル君はまた、にっこりとして手を振ってくれた。僕は、涙があふれそうになった。オマル君の手を握り締めた。頑張れ。令和が来ても生きてくれ。願いがとどくだろうか。