ふくしまのなし

さとうまき

最近、福島の果樹園の除染活動を手伝っている。果樹園の脇のアジサイの植え込みが30マイクロシーベルトを示した。これは大変ということで、アジサイの木を根こそぎ引っこ抜き、土を剥ぎ取ることに。しっかりと大地に根を張ったアジサイは、たとえ放射能にさらされようが、生きようと必死だ。抜くのが一苦労。汗と泥と放射能にまみれながらの作業だ。アジサイの根っこが強すぎて、スコップが折れてしまう。小雨が時折降る中で、気温も随分涼しくなってきているが、防護服を着ての作業はこたえる。表土を剥ぎ取り土を入れ替えると、30マイクロシーベルトあった線量が1を切った。やれやれだ。

果樹園の大内さん。「原発が事故を起こしたのを見て、ああ、これで私たちは、加害者になってしまったんだ。そう思うと涙が止まらなかった。布団から起き上がれないほどの虚脱感がありました。その償いのために、出来る限りのことをしようと思う。これからどうなるかわからないけど、それを受け入れる準備はできています。病に倒れても怖くない。新しく生まれてくる子供たちの為に「私は福島の人間なんだ」と誇れるものを残したい。放射能に対する恐怖というものもありますが、自分がしっかりしたものを持っていれば怖くない。障害を持った子どもが生まれてきても、だから不幸だとは限らない。除染しても福島は住めないという人もいるけど、子どもたちが大きくなって、あちこちに出向いたときに、ああ、福島から来てくれたんだ、ありがとうって言われるようになってほしい。一時的に避難とか疎開が必要だと思うけど、除染しながら新しいことを始めなければいけないと思う。」除染は、哲学だし、生き方そのものだと感じる。

帰りがけに、梨をいただいた。車に積んだまま、石巻に着く。50を過ぎたボランティアさんに、梨でもたべてといって手渡す。

「福島から持ってきたよ」

一瞬みんなの顔がこわばった。

「福島ですよね?」

「あ。いや、放射能は大丈夫だと、、おもう」

「本当に?」

「いや、その」

ちゃんと答えられない自分が悔しい。
渡した梨を回収。僕は50過ぎているから喜んで食うよという人に食べてもらいたい。
車を運転していたら、内館牧子さんが、TVのインタビューで50過ぎたおばさんが、「放射能こっちに持ってこないで」て答えていたのに怒りを覚えたというはなしをしていた。そうだそうだ!と思いながらも、複雑な気持ち。一個だけ、ポケットに入っていた梨。それを食べるか食べないかも哲学だし、生き方だ。

大内さんから携帯にメール。「検査結果が出て、放射能が検出されませんでした!」

ああよかった!