ハエの街

さとうまき

北イラクのアルビルは、とても暑い。不思議なことに、シリアやヨルダンよりは北に位置するのに、比べものにならないくらい暑い。50度を越えているだろう。歩いているだけで息が上がるのだ。

アルビルは、イラクでは一番近代化が進んでいるが、それでも辺境の地という感が否めないのは、遠くに聳え立つ山々とぎらぎらと照りつける太陽のせいか。もっとも太陽はどこでもぎらぎらと照りつけるものなのだが、50度をこえる空気は、太陽の水素爆発により発せられる熱線であり、何億光年もかけて地球に到着して、皮膚を焦がしていく。という非科学的な表現をすれば、いかに辺境かがわかるだろう。

そんなくそ暑い辺境で一人黙々とではなく、気勢を上げて働いている日本女性がいる。私と同じ年齢なのだが、アフリカで鍛えたせいか、基礎体力が違うのだ。しかし、住宅環境が悪く、近く引越すというので、様子を見に行く。確かに、アパートの階段の要り口には、生ゴミが回収されず悪臭を発し、ハエがたかっている。何よりも停電が多く、冷房が効かないし、水が出ないという。

仕事の話になると、ついつい力が入ってしまう。議論が盛り上がると息が荒くなる。口角泡を飛ばすという言葉があるが、そんな感じで、僕たちはお互いの不満をぶつけていた。
「ともかく、311後、日本は変になってしまったんだ!」
その時、急に話が途絶えた。
「あ、ハエを飲み込んだ」と彼女。
確かに、ハエは、水分を求めて唇の周りをうろうろ飛んでいるが、つい口の中に入ってしまう事がよくある。
「どうしようって、ぺって出したら?」
僕は、目の前をハエが飛んでいることに気がつかなかったので、彼女の口からペッとハエが飛び出してくるまでは、信じられなかった。
「今、この辺で動いている」彼女はのど仏のあたりを指差した。
「あ、落ちた。。。〈胃の中に〉」
Sさんは、議論を吹っかけた私の方をにらんで、「どうしてくれるの!」といわんばかりだ。それでも僕は、ハエを一息で飲み込んでしまうなんて信じがたかった。
「うーん、胃液で死んじゃうから大丈夫じゃないかなあ」といい加減な返事をしたが、その夜、彼女は強烈な腹痛にのたうちまわったそうだ。