敬愛する山本ふみこさんが、ないしょの話をするように「原発切抜帖」という小さな映画のことを教えてくれたのだった。土本典昭監督自らスクラップしてきた原子力関係の新聞記事だけで構成された45分の短い映画だけれど、深刻なテーマにしては小沢昭一の語りと水牛楽団の音楽が洒落ていて、今、再び見るべき映画ではないかということなのだ。水牛楽団が音楽!。そういえば山本さんの美丈夫さと気風の良さはどことなく八巻さんと似ているな、などと思っているうちにがぜん見たい気持が高まった。
1982年製作のこの映画は、借りてきてみんなで見る方法しかないかもしれないと思っていたが、岩波ホールで上映されているということを再び山本さんから教えてもらって、最終日に駆けつけることができた。
岩波ホールの緊急特別上映は、羽田澄子監督の「いま原子力発電は…」(1976年/放送番組センター、岩波映画製作所・テレビ番組)との二本立てだった。先に「いま原子力発電は・・・」を見る。始業まもない新品の福島第一原子力発電所が出てくる。「原発事故が起こる確率は50億分の1で、それは隕石にあたるのと同じ確率です」という説明が出てきて、会場には苦笑のさざ波が起こる。「万が一事故が起こった時には、自動に停止しますから大丈夫です」というセリフには、「ウソだ」というつぶやきが後ろの席から聞えてくる。
早稲田大学教授(当時)の藤本陽一氏に羽田監督は話を聞いていく。”原子炉のからだき”という最悪の事態を防ぐには、1分という短い時間のなかで、離れ業の対処をやってのけなければならないという話が出てくる。原子力は有望なエネルギー源だが、賛成できない理由として構造に問題があること(緊急時の冷却が実際には難しい構造になっている)、放射能をいっぱい持った廃棄物が出ること、軍事利用につながることを挙げている。軍事力につながることなど、今は誰も触れない問題だ。
「事故が起きる確率は、隕石に当たるのと同じくらいと聞きますが」と羽田監督は質問する。交通事故のように、頻繁に事故が起こるものについては充分な確立を求めることはできるが、原子力発電のように、事故が起こったとしても非常に稀なものについて、充分な確立を求めることはできないというのが藤本氏の見解だ。科学的に考えるとはどういうことなのか、信頼できる専門家とはどういう人なのか、藤本氏の説明する姿からそんなことを感じた。
「原発切抜帖」(1982/青林舎)は、「新聞記事は日々の風速計だ」という小沢昭一のナレーションで始まる。画面は広島に原爆が落とされたことを告げる短い記事まで時代を遡る。新型傷痍爆弾に対してどう対処すべきかという心得を述べた記事を映しながら、「戦時中は心得だらけでした」というナレーションが重なる。節電の心得、熱中症にならない心得…今もまるで一緒ではないかと思う。そして原爆のことが明らかにされたのは、終戦直後のことだったという。「どうして広島の時に教えてくれなかったのか。」長崎に原爆が落とされた記事を映しながらのナレーションだ。
1981年の敦賀原発の事故対応で、放射能を含んだ水を雑巾で拭きとったという記事。「たとえ放射能が相手でも、現場の人は素手で働くしかない」という実態。アメリカで、原子力関連の死者を13,000人以内にしようという”安全対策”が取られているという記事。「被曝を前提とされた職業が公認されることになる」というナレーションに、そういう見方もあるのかと思う。新聞の記事と、ナレーションと・・・・。水牛楽団の奏でるうららかなメロディーが、私たちの、のんきさを浮き彫りにしていくようだ。
これは、チェルノブイリの事故が起こる前につくられた作品なのだ。これを見るところから何を始めたらいいのか、不誠実なことは言えないと思う。ただ、「日々家々に配達される新聞」の記事のなかに、淡々と進んでいく事態が書かれていたということは分かった。
8月7日(日)〜8月26日(金)12:10〜 当日料金1,000円のみ
オーディトリウム渋谷