年末、ヨルダンに向かった。おかげで今年は正月をゆったりと日本で過ごすこともできなくなってしまった。ちょうど、出発前に「サダムフセイン元イラク大統領が処刑」というニュースが飛び込んできた。某新聞社からコメントを求められたのは、成田についてこれから出発しようと言うときだった。「これ以上治安が悪くならないで欲しいな」と願いながらもあまり状況がわからぬまま飛行機に乗って、パリの飛行場でCNNを見た。
それにしても、野蛮な映像。罪状は、1982年の148人のシーア派住民の殺害だ。25年も前の話なので、証言も疑わしいものがあったし、一方被告の弁護人は、サダムに有利な証言をしたとして3人も殺されてしまった。裁判そのものが茶番にみえたし、サダム・フセインは、証言台に立つとアメリカをののしった。でも、彼の言っていることのほうがまともに聞こえた。
正直今のイラクにきちんとした司法制度があるのかといえば疑わしい。携帯電話で撮影された処刑直前の映像が配信されたが、そこには毅然としたサダム・フセインがいた。死刑を執行する側の人間は黒いマスクをして、「ムクタダ、ムクタダ」とはしゃいでいた。これでは、復讐のためのリンチとしか見えなかった。サダム・フセインはともかく、死に様が立派だったと言うのが大半の意見だ。
また、サダムの死とともにイラクそのものが終わってしまったと感じた人もいただろう。やっぱりサダムの時代のほうがましだったし、どう考えても、「よかった」といったほうがいいと多くのイラク人は、考え始めていたから、なんだかすべてが、もう希望も見出せず、マリキはなんて馬鹿なことをしたんだろうという失望感が募る中、イラクの人々は新しい年を迎えたのである。
私たちといえば、ともかくイラクのがんの子どもたちを何とかしなければと奔走している。早速バスラのイブラヒムから写真が電送されたきた。「薬が大量に空輸されたのに、みんな怖がって取りに行かない」というのである。そこで、イブラヒムは、警察の護衛をつけて飛行場の倉庫まで取りに行ったという。銃を構えた警官が4、5人イブラヒムを取り囲んで警護してくれている。なんとも仰々しい写真。まるで映画のワンシーンみたいだ。車の中には機関銃を構えた警官がダンボールに入った薬を守ってくれている。まさに命がけ。
そして、またイブラヒムからメールが来た。患者が死んだと言う。ドゥアという9歳の女の子だ。小さな小屋のような家で6人が暮らしていた。父はイランイラク戦争で腕を怪我して働けないというので、生活保護を出そうということになった。彼女は花の絵を描くのが大好きで、それがとっても素敵なのでポスターを作ったりした。何よりも、今回の限りなき義理の愛大作戦では、彼女の絵を、うまくデザインしてお花畑にたたずむカップルという作品に仕上げたのだ。
3ヶ月くらい前から、ドゥアは手の施しようがなくなっていたという。注射ばかりして、血管が硬くなってしまって、薬も注射できなくなっていた。死ぬ2日前の写真。ドァアは、満面の笑みをたたえイブラヒムの構えたカメラにおさまってくれた。翌日、彼女の上では皮下出血がひどくて真っ青になっていた。そして、死んだ。笑顔つくるのってそんなに楽じゃない。自分だって疲れていたらなんとなく険しい表情をしてしまうし、わざと笑顔を作っても引きつってしまうのだけ。それなのになんでこの子はこんなにも素敵な笑顔で微笑んでいられるのだろうか? そう思うと、悔しさがこみ上げてくる。
これが、「美しい」国、日本が支持した「汚い」イラク戦争の結果である。病院の復興なんて全くされていなくて、薬が不足している。100億円かけて作るといったがんの病院も、アメリカの汚職で頓挫してしまった。私たちは、といえば、薬代を稼ごうと、ひっちゃかめっちゃかになってがんばっているという有様。一生懸命売ったチョコレートのお金で買える薬は、がんばって2か月分。
それでも、多くの人たちが、この限りなき義理の愛大作戦に参加してくれているから嬉しい。バレンタインの時期、チョコレートの売り上げは530億円だそうで、それに比べたら、われわれのチョコレートはちりのようなものだが、商魂たくましき中、年に一日は、愛を世界中の子どもたちに分けてあげる日としてバレンタインデーが代わっていってエスカレートしていけばいいんじゃないかなと思っていて、なんとなくそんな感じになってきたんじゃないかなとか思ったりしている。チョコレートの甘さとともに子どもたちの命の重さをかみしめて欲しい。
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