さつき 二〇一七年九月 第五回

植松眞人

 夏がおさまらない。
 学校が始まっても蝉はいつまでもクマゼミにならずに、相変わらずアブラゼミがやかましく鳴いている。
 八月の半ば頃、東京では雨が二十日以上続き、すっかり涼しくなってこのまま秋に突入だと思っていたのに、夏の暑さは涼しくしていた頃の分まで含めてぶり返しているようだ。九月になっても毎日朝起きた途端に、びっしょり汗をかいていることに気付いてげんなりする。
 それでも、今朝は少しましだ。昨日の家族の会話を思い出すと自然に笑ってしまう。
 昨日はテレビの晩ご飯の後、テレビのニュースを家族みんなで見た。北朝鮮がまた日本の上空に向けてミサイルを発射したとしたら、今度は必ず打ち落とす、と安部さんは言っていたけれど、きっと嘘だと私は思う。だって、八月に北海道の上空を飛んだときに打ち落とさなかったくせに、次は打ち落とすから信用してくれと言われて信用する馬鹿はいないと思う。
 父は、ひとしきり北朝鮮の話をして、もし自分が太ってしまうと、丸顔だから北朝鮮の指導者のようになってしまうかもしれないと真剣に嫌な顔をしたのが面白かった。
 その後、父が都民ファーストの会の話をし始めて、なんとなく「小池百合子もさあ」と父が言うのを聞きながら、ああ、この人は小池百合子が好きなんだなあ、とわかってしまったのだった。小池百合子が好きというか、小池百合子の快進撃に期待してしまっているんだなあと言うことが感じられてしまって、ほんの少しだけ、父が歳取って見えてしまったのだった。
 たかが高校生の意見ではあるけれど、私は政治の話は楽しいエンターテインメントだと思う。何しろ、こちらの生活がかかっている。エンターテイメントって、結局、観客を感動させればいいわけで、だとすれば生活がかかっているとなると、これ以上の興奮や感動があるわけもなく政治ってものすごいエンターテインメントだと私は思うようになったのだった。
 だって、小池百合子がミドリムシのゆるキャラのように見える衣装でおばさまたちの人気を独り占めしたのも、結局はみんなが戦隊ものの緑色のヒーロー、ヒロインみたいなやつをみんなが追い求めているってことを露呈したのだし、その結果、ミドリムシ連合のような都民ファーストの会が大躍進して、多勢に無勢で国会ではあんなに偉そうにしていた自民党の安倍さんも最近はなんだか元気がない。
 しかし、東京都民である私たち家族にとって、いますぐ小池さんが何かをしてくれるわけではなく、相変わらず元コピーライターの父は薄ぼんやりと毎日を過ごしているし、人見知りのグラフィックデザイナーの母は相変わらず、単価の安いデザイン仕事を請け負っている。「こんなんじゃ誰も幸せにならないのよ」が最近口癖になった母だが、その口癖を大きな声で叫ぶことはない。小さな声で、私にだけ伝えて、小さなため息をついて、机の上のパソコンに向かって、マウスを動かし始める。
 選挙特番を見ているときには、「都民ファーストの会が自民党一党体制に風穴を開けた」的な妙にわくわくした気持ちに包まれたのは確かだし、選挙権もないのに、なんとなくドキドキしながら、都民ファーストの人に投票しに行った感覚があった。
 だけど、テレビを見ていて、次々と小池さんが緑色のリボンを当選者の名前のところに付けていくのを見ながら、コピーを書かなくなって久しいコピーライターの父が「どうせ、何にもかわらないのにな」と呟いた。
「変わらないと思う?」
 私がそう聞くと、父は、
「残念ながら変わらない。今の世の中を変えることなんてできるのかなあ。もちろん、いつかは変わる。だけど、それが今だなんて思えないんだよ」
 父はそういうと、私をまっすぐに見た。私は父になにかを問われている気がして、答えを探してみた。小池百合子に期待しちゃってるくせに、と私は答えを探しながら思った。期待しているくせに諦めてるって、どういうことだろう、と私は父の表情を盗み見た。そして、瞬時にいろいろ考えた結果、私も父と同じように、それが今だなんて思えなかった。
 翌日、学校へ行くと、ホームルームの時間に神谷先生がなんとなく政治の話をした。ホームルームなので、込み入った話ではなく今の政治はこれまでの選挙の反映であって、政治家だけがどうこういうのは間違っているという、まあ先生としては至極まっとうな正論で、正論過ぎてなぜ先生がいまこの話をしだしたのか私にはまったくわからなかった。
 きっと先生も夏休み明けに私たち生徒たちがなんとなく気合いの入らない顔をしているので、それらしいことを言ってお茶を濁すつもりだったのかも知れない。それなら、と私は先生に聞いてみた。
「先生、どうせ何も変わらないと思いますか?」
 私がそう言うと、クラスがしんとした。先生も小さく「え?」と声を出した。
 それもそうだ。私がホームルームで発言するなんて、初めてのことだし、誰かに質問されることはあっても、自分から誰かに質問したことなんてなかったからだ。しかも、手も上げずに、着席したままで、ふいに先生に質問したのだから、みんなが驚くのは無理もない。
 一瞬しんとした教室の中が、次第にざわざわし始めた時、先生は「うーん、そうだな」と答え始めた。
「うーん、そうだな。どうせ変わらないという気持ちもわからないでもない。だけど、それを言っちゃおしまいだ、という感じかなあ」
 それを聞いて私は、良い答えだなと思った。思ったけれど、今度は私がどう答えていいのかわからず黙っていた。
「それは、あれか? 畑中がそう思っている、ということか?」
「えっと、いえ、同じ畑中でも、私じゃありません」
 先生は怪訝な顔をする。
「同じ畑中でも、私じゃない…」
 先生はしばらく教室のなかの、クラスメートたちを眺めていた。ここに、私以外の畑中がいたかどうか確かめているのだった。いるわけがない。畑中は私一人だ。
「先生、違います。私の父です」
「あ、お父さんか」
 そう言って、しばらくしてから、先生は続けた。
「畑中のお父さんは絶望してるのか?」
 先生はものすごく普通にそう言った。驚いた様子でもなく、諭すでもなく、一緒に道を歩いていた友達が歩行者用の信号を見て「青だよ」と言ったときのように、本当に普通のトーンで、神谷先生はそう言った。
 先生にそう言われて、私は、そうか父は絶望していたのかと思った。そうだ。確かにいつものように笑っているけれど、父は絶望していたのに違いない。それも昨日今日の絶望ではない。おそらく、父が前に私に話したように、「そこそこのコピーライターは、そこそこ年齢がいくと仕事が減っていくのさ」と感じたときには、すっかり絶望していて、自分のことをそこそこの、と思い至ったときに、知らない間に投げやりな歩き方をし始めていたのに違いない。私はいままで絶望という言葉は使っていても、その言葉にそれほどネガティブな印象を持ったことがなかった。ただただ自分の気持ちを表す言葉として、「絶望的だ」と言っていただけで、その言葉に強い印象を持っていなかったのだ。
 しかし、父が薄らと笑いながら「そこそこのコピーライターは」と話したときのことを思い出した途端に、絶望という言葉は悪魔の言葉になった。穢れた言葉になった。
 私が衝撃を受けている間にホームルームは終わっていた。気がつくと、クラスメートは好き勝手に立ち上がり、半分くらいが教室を出て行った後だった。私は自分でも気付かないうちに鞄を持ち、教室を出ようとしていた。すると、別の生徒からの質問に答えていた神谷先生が私を呼び止めた。
「畑中、おい、畑中」
 私は立ち止まった。
「はい」
 私が答えると、先生は少しだけいつもと違う笑顔で言う。
「お父さん、大丈夫か?」
 そう聞かれて、なんとなく私はえらいことになったと思った。父はあんまり大丈夫ではないはずだ。
「わかりません」
 そう答えると、私は教室から駆けだして、家に向かった。
 家に帰る道で、私は買い物帰りの母の後ろ姿を見つけた。「お帰り」と母が言い、私が「お父さん、大丈夫かな」と聞く。すると母がしばらく考えて、「もしかしたら、家にいないかもしれないけれど、きっと大丈夫」と答えた。
 家に帰ると、本当に父はいなかった。そして、晩ご飯を食べる時間になっても帰ってこず、翌日も私が学校から帰ると父の姿はなかった。でも、母は嬉しそうに帰ってきてこう言った。
「新しい仮住まいが見つかったわよ」(つづく)