カタカナの誘惑、たとえば絵のなかに見るような

北村周一

木村拓哉が主人公を演じていたテレビドラマのひとつに『華麗なる一族』という番組があった。
いまその番組の冒頭のシーンを思い浮かべている。
ドラマは、戦後の高度成長期を迎えようとする関西、とりわけ神戸周辺を舞台に展開されていたと記憶している。
のだけれど、ちょっとおかしい。違和感があるのだ。
毎回番組のはじめに神戸の市街地と思しき光景が映し出されるのだが、その遠景のワンショットが気になって仕方がない。
なぜなら、あきらかに別の町、それもよく見慣れたある町の映像だったからである。
テレビの画面に映っている町並みや、湾岸部、石油タンクの数々、そして遠くの海は、どう見てもあの清水ではないか。
繁栄した神戸ではありえない。
1960年代の神戸の町は知る由もないが、この番組の初回の冒頭シーンを見た時から、この風景は清水の日本平から見た景色に違いないと思っていた。
とはいえどこかおかしい。
富士山がないのだ。
清水の北西部から海側を望む景色として描かれているのだから、左手に大きく富士山がなくてはならない。
右手にはむろん清水港。
テレビ画面から、港および倉庫群は消されてはいなかったものの、あのニチレイの看板が見当たらない。
細かく観察しようにも、10年も前の番組だから、記憶に頼るしかないのだけれど、お門違いの間違い探しはこれくらいにして、本題に入りたいと思う。

ニチレイ、いわずと知れた日本を代表する冷凍食品会社である。
清水港はマグロで有名だが、はごろもフーズをはじめとしていまも食品加工会社が軒を連ねている。
そのなかにあって、ニチレイの大きな看板はひときわ目立っていた。
当時あまり背の高い建物のなかった清水市街にあって、ビルの屋上に作られた大看板は、カタカナ四文字の奇抜さも相俟って、他を威圧していたように思う。
海側からも山側からもそれと見てとれたのである。

清水港のやや東側、折戸湾に突き出た防波堤の突端に通称赤灯台と呼ばれる小さな灯台が立っている。
ふだんは釣り人しか近寄らないところなのだが、魚市場から歩いていける距離にあるので、たまにスケッチに立ち寄る場所でもあった。
かれこれ40年も前の話ではあるけれど。
赤灯台から眺める清水の町並みは、それなりに決まった構図ではあったと思うが、いったん描き始めると、さてニチレイの看板の文字はどうしようかと思い悩むこととなった。
アルファベットなら、苦しまずに済んだかもしれない。
春が近いとはいえまだまだ寒い時期だった。
夕暮れが迫り、パステルの色調もだんだんに陰りを帯びてくる。

 なにもまだ生んでいないのに春は来て父となりたるわれを待つらん

はじめての子が生まれてくる前の何ともいいようのない不安が、ニチレイのカタカナ四文字に重なる。
仕事を辞めて画家を志したところまではよくある話といえなくもないだろうが、人に見せるに足る絵が一枚もないのだから、ほんとうにお先真っ暗だったのだ。
最初の個展が開けるようになるまで、それから5、6年は悶々とする日々が続いた。

『華麗なる一族』の主役を務めたキムタクは、全撮影が終わった後、「今だから笑って言えるけれど、逃げたかった」と告白したと伝えられている。