「五月に生まれたから、さつきという名前なのね」とずっと言われ続けて育ってきたのに、私は五月生まれではない。そのことで意外な顔をされたり、感心されたり、ちょっと笑われたりする。
コピーライターをしていた父とグラフィックデザイナーをしていた母が六月に生まれた私にさつきという名前を付けたのは、ちょっとした遊び心だった。あなたが生まれることを心待ちにしていたくせに名前のことをすっかり忘れていたの、という母は、私が生まれた日に祖母に「ところで初孫の名前は」と聞かれて驚いたそうだ。
父と母は自分たちの粗忽さを大笑いして、ああでもない、こうでもないと私の名前を考えたのだった。その時、改めて私をまじまじと見つめた父が「ついさっき生まれたばかりなのに、髪の毛がふさふさしてるなあ」とつぶやいたのだった。母はそんな父に「そう、さっき生まれたようなものなのにねえ」ところころと笑って返したそうだ。それからしばらく、私のふさふさした髪を見ながら二人は笑い続けて、またうっかり名前を考えていたということを忘れそうになったというのだから本当に懲りない人たちだと思う。母の「そうそう、名前名前」という声を合図に、また二人は私の名前を考え始めた。
しばらくすると父が「さっきちゃん」と私に呼びかけたそうだ。「さっき生まれたばかりのさっきちゃん」と楽しそうに笑ったのだという。母が言うには、父がそう言った途端に私はキャッキャと笑ったらしい。本当だろうか。わからない。わからないけれど、母はどうでも良いところでしか嘘を吐かない人なので、きっとこの話は嘘ではない気がする。だって、自分の子どもの名付けというなかなか大切な場面での話だから。
父は私が笑ったことで、「さっき」という言葉に引っかかりを覚えたのだろう。コピーライターの職業病である「言葉転がし」を始めたそうだ。言葉転がしとは、気になった言葉を頭のなかでコロコロと転がして、さらにいい言葉を作り出したり、キャッチコピーらしくする病気だ。
さっき、さっき、とつぶやいていた父はふいに「サッキー」とかつての英国女性首相のように音引きで叫んでみたり、「さっきん」と無理矢理ニックネームのようにしてみたりしていた。そして、近くにあったチラシの裏に鉛筆で、さっき、さっき、と何回か書いてみた。しばらく、「さ」と「つ」と「き」という文字を何度も書いてみて、順番を変えてみて、あれやこれやと試している間に父は静かになった。静かになって、じっと文字を眺めていた。そして、指で文字を一文字ずつ押さえながら「さ・つ・き」と声にした。声にしたあと、ごろりと横になり、天井を見ながら、「さつきかあ…」と言ったのだそうだ。さつきさつき、と言いながら父はまた起き上がり、母に笑いかけた。
「ねえ、五月のことをさつきって言うよね」
父がそういうと、母は笑い返した。
「残念でした。今週から六月に入りました。この子の誕生日は六月一日よ」
とあきれ顔で答えたのだった。
「そうか。五月もさっきまでか。いいじゃない。さっきまで五月だったんだから。五月生まれだから、さつきなんじゃなくて、ついさ
っき生まれたから、さつき。ついさっき生まれた気がするのに、すくすく育ってくれるように。そして、ついさっき生まれたかのように、愛らしいままで育ってくれますように、って意味でさ」
と、父は「さつき」という名前についてのプレゼンテーションを始めた。まるで職業病だ。
「それにさ。五月に生まれたから、さつきなんですよねって、絶対に言われるでしょ。そしたらさ、実は父と母がさっき生まれたばかりだからって、さつきって名付けたんです、なんて世間話ができるじゃない」
父のその言葉が、人見知りで苦労した母にはえらく突き刺さり、さつきという名前候補が浮上してからわずか十分ほどで、私の名前はなんの迷いもなく決められたのだった。
二〇〇二年六月に生まれてから十五年が過ぎた。父と母が笑いながら私の名前を決めてくれてから、十五回目の春がやってきた。(つづく)