三日月と野草

璃葉

自宅の窓から見える桜並木が満開の花を咲かせているときの花見客のどんちゃん騒ぎから一変、花が散ったあとは見物人もいなくなり、まるで安心したかのように一斉に新緑の葉たちが生い茂った。辺りは緑だらけだ。

風でさわさわ揺れる葉、暖かい日差しを受けている植物をのんびり眺める。満開の桜をみることよりも好きかもしれない。

散歩をしていると、子供のころから見慣れている野草をどんどん見つける。一度覚えた草の名前はいつまでも忘れないから、不思議なものだ。

すこし遠出をして、野草を探しにいくことにした。山の近くの公園の川べりはまだ肌寒く、雨上がりの夕暮れの空はいつも以上に澄んでいた。三日月が浮かんでいる。

雨で湿った柔らかい土の上には青々とした草花が川向こうまで広がっていて、空の青を草が吸い取ったように濃厚な色をしている。都心にも生えているごくふつうの草花だが、生きている場所がちがうだけで、表情はまったくちがう。

雨露に濡れた葉をさわっているだけで手がシモヤケのようになってしまった。
目に留まった草と花をすこしだけ採集し、持ち帰って植物図鑑と照らしあわせてみた。

スミレ カラスノエンドウ ヤエムグラ ハルジオン アブラナ ホトケノザ ミコシギク

キク科やスミレ科の野草だけでも、似ていても名前がちがうものがいくつもある。

花弁のならび、実のつくりや葉のかたちから、これでもないあれでもないと絞っていき、やっとその名前たどり着いたときは、とてもうれしい。きっとわたしは、野草の名前と由来に惹かれている。和名でも英名でも知らない土地のことばでも、名前を知れば距離はとつぜん近くなる。

5月もはじまったので、山の麓へ鉱石を探しに行くついでに、野草探しもしてみようかと考える。標高の高いところの植物はまた表情がちがっていて、おもしろい気がする。