ポルトガルの海

植松眞人

 東京メトロを千駄木駅で降りて、団子坂を登り切ったところに森鴎外記念館がある。その前の通りを右に折れたあたりに文京区の図書館がある。
 鴎外が実際に暮らした観潮楼跡に建てられた森鴎外記念館はかなり気合いを入れて設計されている分、目と鼻の先のこの図書館の建物の地味さが際立つ。役所の一角なのかと見間違うほど、なんの特徴もない。それでも、自然と森鴎外の書籍を探し始める。「文学」と書かれたプレートが奥の方に掲げられていたので、そちらに向かうと「近代文学」「純文学」と棚がわかれていたので迷わずに「近代文学」を探す。「純文学」は「男性作家」と「女性作家」に別れているのだが「近代文学」は男女では別れておらず、シンプルに「あ」「い」「う」と五十音別に並べられている。
「も」のプレートを探そうと目を走らせた瞬間に背表紙が上下逆さまになっている青い本が飛び込んできた。自分の顔を少しひねって、なんとか逆さまになった文字を読むと、背表紙には『ポルトガルの海』とあった。『ポルトガルの海』と言えば、確かと思いながら、著者名を見ないようにする。『ポルトガルの海』と言えばと書棚に背を向けてる。自力で思い出したい。スマホに頼らずに思い出したい。しかし、還暦を迎えてすっかりこらえ性がなくなってしまい、そんなこだわりはすぐに知りたいという気持ちにあっさりと負けてしまう。振り返り、書棚に手を突っ込み、逆さまになった本を取りあげ、著者名を確認する。そうだった。フェルナンド・ペソアだった。
『うた』と題された詩編から始まるその本がなぜ日本の近代文学の書棚に突っ込まれるように置かれていたのかは知らない。けれど、それを見た瞬間から、森鴎外が若き日に留学した国がドイツではなくポルトガルだったらという思いから抜け出せなくなっていた。
 ペドロ・コスタの映画『溶岩の家』や『ヴィタリナ』に出てくるようなポルトガルの辺境の町を鴎外が歩いていたとしたら、エリスにも会わなかっただろうし、万一、エリスのかわりにポルトガル女性に会っていたとしたら、鴎外はその後日本に帰国しなかったかもしれない。ドイツは何かを学び何年か後に帰ってくる場所にはなり得ても、ポルトガルは違う気がする、などとドイツにもポルトガルにも行ったことがないのに、勝手に決めつけている。
 受付で聞くと、文京区に住んでいなくても身分証明書があれば本を借りることができるというので、手続きをして『ポルトガルの海』を借りる。そして、学生たちが自習をしているデスクがずらりと並んだ場所をすり抜け、老人たちがぼんやりと時間を潰しているソファの空いた席に座り、借りた本を開く。同時にスマホでウィキペディアにアクセスして、鴎外とペソアの生年月日を調べる。
 鴎外はペソアよりも三十年近くはやく生まれ、十年ほどはやく亡くなっている。鴎外がドイツ留学から帰ってしばらくしてからペアソが生まれたので、仮に留学先がポルトガルだったとしても、二人の人生が交錯することはない。ただ、ペソアの詩集の日本語訳が森鴎外記念図書館の「近代文学」の書棚になったことは記憶の中で決して忘れることのできない出来事になった。
 鴎外とペソアは生涯分かちがたく結びついてしまった。誰かがペアソの詩を乱雑に書棚にしまったがために。鴎外の名前はすでに、ペソアの『ポルトガルの海』の表紙の色だ。そして、それが本当にポルトガルの海の色をイメージしてデザインされたものかどうかは知らないけれど。(了)