夏のふたりの公園

植松眞人

 家人が出払った夏の日の午後。普段ならエアコンを効かした部屋から一歩も出ないのだが、どうした気の持ちようかふらりと外へ出た。どこかで冷たいコーヒーでも飲むかもしれないとポケットに千円札一枚と小銭をじゃらじゃらと放り込んで息子のサンダルを履く。
 日は照っているけれど思ったよりも風が乾いていて気持ちが良い。目的などなにもない散歩のようなものだから二軒隣の婆様に挨拶されて「どちらへ」と聞かれると逆に落ち着かなくて「ちょっと仕事で」と咄嗟に答えてしまったのだが、こんな格好で仕事もなにもないもんだ。
 近所の顔見知りに会わないように、知らず知らず足は表通りから裏通りへ。商店街からたんぼ道へと向かって行く。真っ青な鋭敏な葉先を持った草が、軽自動車がぎりぎり通れるほどの道を両側から覆おうとしていて、真ん中を歩いていても時折七分丈のズボンから出た素足に触れる。こんな田んぼや畑の間の生活道路もきちんとアスファルトで整備されているんだなあ、と思った途端に自分が子どもだった頃の田畑の風景を思い出す。あの頃のたんぼ道はもっと狭くてもっとむき出しの土で砂利が敷かれているくらいだったな、と思うと急に自分がさっき挨拶した婆様と同年代のような気分になる。
 子どもの声がする。男の子の笑い声だ。いくつくらいだろう。二人の男の子が話し、笑い、また話している声がする。ふいに、たんぼ道の脇から、声の主である二人の男の子が目の前に入り込んでくる。小学校の真ん中くらいだろうか。一人はTシャツ、もう一人はランニングシャツを着ていて、自分の子どもの頃と変わらないじゃないかと思うのだが、目の前の二人は子どもの頃の自分のように半ズボンははいていない。どちらもちゃんと長いズボンだ。
 この二人が目の前に現れた途端に気温が少し上がったような気がした。こいつら、暑いなあ。と思っていると、二人が大笑いをする。大笑いしながらTシャツがランニングの片腕にしがみつくようにする。素肌と素肌が重なって少し離れて見ているのに、汗が飛んだのがわかった。二人はゲラゲラと大笑いしながら、お互いのまわりをクルクルと回り出す。回っているものだから、こちらとの距離が詰まる。距離が詰まって初めて二人はこちらに気付く。そして、なにげなく会釈をすると、しばらくの間、口を閉じてまっすぐに並んで歩き始める。でも、やがて我慢ができなくなったように、またTシャツがランニングになにかを耳打ちする。すると、ランニングがゲラゲラと笑う。身体を折るようにして笑うので、笑うだけで汗が大量に出る。暑いだろうに、二人は気にしない。
 このクソ暑い日にどこへ行くのだろう。家でゲームでもしていればいいのに、と声に出しそうになって、自分も彼らと同じだと気付く。そして、なにがそんなに楽しいのだろうと想像するだけで、こちらの顔も緩んでくる。なんだか楽しくなって二人のあとを歩いていく。こそこそなんてしない。堂々とあとを付いて行く。二人はこちらのことなんて気にしない。仔犬がじゃれ合うようにしながら、彼らの目的地に向かっている。
 けっこう歩く。真っ直ぐに続く田んぼと田んぼをつなぐような道をもう十五分ほど歩いている。脇道にも逸れず、歩いたり走ったり笑ったりこそこそしたりしながら、けっこう歩いている。
 バス停で二ほど歩いただろうか。向こうのほうにこんもりとした木々が見えた。小さな神社かお寺があるようだ。それが見えると、二人は歓声をあげて走り出す。子どものクセに、Tシャツとランニングのくせに敬虔な参拝者なのかと心配したが、彼らの目的はその敷地に併設された小さな公園だった。ブランコがひとつ、小さなすべり台がひとつ設置されただけの小さな公園だった。ここではキャッチボールもできないし、幼稚園児が遊び始めると、小学生は遠慮しなければいけないような小さな公園だった。
 二人の男の子はその公園に走り込むと、二人してすべり台を二度滑り、そのままブランコに座る。お互い前を向いて並んでブランコをこぎ始める。他に誰もいない公園で、二人が漕ぐブランコが軋む音が響く。その音に呼応するかのように、隣の神社かお寺の木々の間で蝉が急に鳴き始める。
 こちらは、公園の入口近くにあったベンチに座って煙草をくゆらせる。そして、考える。このくらいのサイズの公園なら、ここまで歩かなくてもいくらでもあっただろう、と。このブランコがいいのだろうか。他の公園のブランコよりも乗り心地がいいのだろうか。それとも、家の近所の公園にはいじめっ子でもいるのだろうか。いや、もしかしたらこの二人はこう見えて家出中なのかもしれない。小学生の浅はかな知恵で家出したものの行く当てもなくここにいるのかもしれない。そんなことを考えていると、ランニングシャツがブランコを降りる。降りた瞬間に「あついよ」と叫ぶ。すると、もう一人もブランコを降りて「あついよ」と叫ぶ。二人はブランコのまわりをグルグル走り始める。そして、「あついね」「あついよ」「あついね」「あついよ」と掛け声をかけながらグルグル走り続ける。
 二人のシャツは汗で身体に貼りついている。時折、二人に触れられるブランコはあちらこちらに向かって揺れる。なにか、そこだけ汗をかけばかくだけ楽しいことが起こる魔法がかかっているように見えた。(了)