人生はパスワード

篠原恒木

いつからあのパスワードという存在が、おれの人生にのしかかってくるようになったのだろう。

PCやスマートフォンが普及し始めてからだ。あれ以来、おれの人生はパスワードまみれとなっている。じつに厄介である。
朝、出社してPCを起動させると、画面には
「パスワードを入力してください」
と出る。ふざけているではないか。ここはおれの席であり、したがっておれの机に置いてあるPCはおれのものに決まっている。
「おれだよ、おれ」
とPCに向かって言うが、彼女は融通が利かない。いまおれは「彼女」と書いたが、PCはおれの妻のような気がするからだ。すぐ機嫌が悪くなりフリーズするし、少しばかり重たいものを送ってもらおうとすると、
「そんな重たいものは持てません。したがって送れません」
と、にべもなく拒絶する。妻とそっくりだ。だからPCは「彼女」なのだ。

話が逸れた。「彼女」を起動させないと仕事にならないので、不本意ながらおれはパスワードを入力する。これは毎日のことなので、かろうじてパスワードを覚えている。面倒だが問題はない。
問題はPCやスマートフォンでいろいろなサイトにアクセスする場合、いちいちパスワードを入力しなければならないことだ。テキは最初に、
「パスワードは8文字以上で数字と英文字の組み合わせでお願いします」
などと指定してくるので、おれは覚えやすいアルファベットに覚えやすい数字の羅列を入力する。
「これで文句ないよな」
と思いながら、ログインしようとすると、テキは
「危険度大」
などとホザいて、撥ねつけてくる。
「生年月日などの数字はパスワード漏洩の恐れがあります。アルファベットは大文字、小文字の両方を用い、記号も入れて再入力してください」
とかなんとか通告してくるのだ。
「細かい奴だなぁ」
と思いながらも、おれは仕方なくもう少し複雑なパスワードを入れることになる。すると、
「パスワードを保存しますか?」
と表示されるが、これが保存したりしなかったりと、おれの行動には一貫性がない。保存してあれば、次にログインするときはメール・アドレスを入力すれば、●●●●●●●●という按配で自動的にパスワードが打ち込まれるので、たいそう気分がよろしい。

問題なのは、同じサイトへPCからではなくスマートフォンからログインしようとすると、また最初から同じパスワードを入力しなければならないことだ。ここでおれは躓く。パスワードを覚えていないのだ。
「あれかな?」
という心当たりはあったりするので、その英文字、記号、数字の羅列を入力するが、憎たらしいことにわざわざ赤字で、
「パスワードが違います。再入力をお願いします。誤ったパスワードを複数回入力すると、ログインできなくなります」
などと、脅しのような注意書きが画面に出る。おれは途端に緊張して、次のパスワード候補を入力するが、これも「違います」と出る。ひょっとしたら一回めに打ち込んだパスワードのキーを間違えて叩いたのかも、と思って再度入力するが、これも違うという。それからあとのことは書きたくもない。

「PCとスマートフォンを同期させればいいじゃないですか」
などと訳知り顔でホザく奴もいるのだが、そういう野暮なことは言ってほしくない。おれは普通の人々がたじろぐほどのアナログ野郎なのだ。動悸はときどき激しくなるが、同期のやり方などわかるはずがない。いや、わかろうともしないのだ。バカにしてもらっては困る。

「最初のパスワード入力時に、メモを取っておけばいいではないか」
と、つまらないことも言ってほしくない。おれはそういうきちんとしたニンゲンではない。ナメてもらっては困る。仮にメモしたとしても、どこにメモしたかわからないという事態が常なのだ。そんじょそこいらのお兄いさんとはちぃっとばかりお兄いさんの出来が違うのである。

おれはCDやDVD、書籍、ポテトチップス、餃子、衣服、チョコレート、ライヴのチケットなどいろいろなものをいろいろな物販サイトで購入するので、その都度、パスワードに悩まされることになる。
「世の中がひとつ便利になると、ひとつ不便が増える」と言うが、あれは真理だ。ライヴのチケットを求めに、始発電車に乗ってプレイガイドの前で行列しなくて済むようになったのはまことに便利で寿ぎだが、パスワード地獄のストレスが不便でならない。スマートフォンでは顔をかざせば、自動的にパスワードが入力されることもあったが、機種変更をしたときにすべてのパスワードが消えた。新任者への業務引き継ぎはちゃんとやってほしい。仕事の基本ではないか。

パスワードだけではない。クレディット・カードや銀行のカードの「暗証番号」という問題もある。
「あれは四桁の数字だから、間違えようがないだろう」
などと、くだらないことは言わないでもらいたい。おれはそういう理路整然としたニンゲンではないのだ。甘く見てもらっては困る。どっちの番号がクレディット・カードで、どっちの番号が銀行のカードか、わからなくなってしまうことがよくあるのだ。

ショップで服などをクレディット・カードで買うと、店員さんが手のひらサイズの端末にカードを挿し込み、
「金額をご確認のうえ、暗証番号をお願いします」
と言って、大袈裟に俺のほうから顔をそむける。
「私、見てませんよ。暗証番号、盗み見してませんよ」
というメッセージなのだろうが、おれはあのポーズをとられると、途端に緊張してアタマが混乱してしまう。
「おお、マズイ。早く店員さんをこの不自然なポーズから解放させてあげなくては」
と焦り、その結果、数字ボタンを打ち間違えたり、クレディット・カードの暗証番号ではなく、銀行のカードの番号を押したりしてしまうのだ。

おれはジムに通っている。ところがジムのロッカー番号も覚えられない。ロッカーは横四桁のダイヤル式になっているが、おれは下一桁だけダイヤルをひとつ下にずらしてロックするようにしている。これなら簡単に開けられるからだ。ところがたまにほかのジム会員が間違えておれのロッカーを触ったりすることがある。こうなると厄介だ。四桁の数字がバラバラになっているので、いちいち受付のヒトを呼んでしまうことになるのだ。

おれは狭い集合住宅に住んでいるが、郵便ボックスの開け方がわからない。円形のダイヤル式で0から9までの番号が円の外周に記されていて、右に回したり左に回したりして開けるという、例のアレである。妻に開け方を教わったが、すぐに忘れた。
「184だから、イヤヨと覚えればいいのよ」
と言われて、なるほどと思ったのだが、最初に目盛りを0に合わせて、そののちに右に1なのか、それとも左に1なのか、それを忘れた。したがって次の8、その次の4も右なのか左なのかも覚えているはずがない。右も左もわからないとはこのことだ。

こう考えていくと、このおれがパスワードのような複雑な「暗号」を管理できるはずがない、ということがよくおわかりになるだろう。四桁、いや三桁の数字ですらおぼつかないのだから、英数字と記号を含む八文字以上の順列組み合わせを記憶できるわけがないのだ。かくしておれは今日も「彼女」に連呼されている。
「パスワードに問題があります」
「パスワードに誤りがあります」
「パスワードに問題があります」
「パスワードに誤りがあります」
問題があるのはパスワードではなく、このおれだ。
あやまりがあるのなら、あやまるしかない。