小津安二郎の月

植松眞人

 中国の四川省からやってきた留学生の趙(ちょう)くんとは、彼が学校を卒業し、私が学校を辞めてからも付き合いが続いている。
 彼はいま仕事の都合で静岡県伊東市にいて、時折、東京や大阪で会っては映画の話ばかりしている。もちろん、彼の日本語が達者なおかげだ。
 昨年のまだ寒い春先のこと。私が関西から東京へ移動することがあり、なんとなく新幹線の路線を頭の中に思い浮かべていると、静岡あたりに趙くんがいることを思い出した。それならと、趙くんにスマートホンからメッセージを送る。熱海あたりで新幹線を降りて一泊するからご飯でも食べないか、と誘うと嬉しいことに趙くんは車で熱海駅まで迎えに来てくれるという。
 当日、熱海駅に着くと土砂降りの雨で、私は駅前のターミナルを雨に濡れない屋根付きのところで眺めていた。すると、タクシーの間に一台の小さめの乗用車が止まり、趙くんが窓を開けて手を振っている。私が一歩雨の中に移動しようとすると、その前に趙くんが私を掌で止めて、自分が傘を差して飛び出してきた。ほんのわずかな移動で趙くんはずぶ濡れになったが満面の笑みを浮かべている。
「お久しぶりです!」
 趙くんのクセのあるイントネーションが懐かしく、私もすぐに笑顔になってしまう。
「行きましょう。車で移動して、どこかでご飯食べましょう」
 そう言って、趙くんは自分が濡れるのも気にせず、私に傘を差しだして車へ誘導してくれた。
 それからたまたま見つけた居酒屋で地の魚を楽しみ、あれこれまた映画の話をした。
「熱海と言えば小津安二郎ですね」
 趙くんがポツリと言ったときに、私は不覚にも泣きそうになった。理由はわからない。確かにそうだ、と思った感覚よりは、何を突然言い出すんだ、という感覚に近かった気がする。『東京物語』の話をして、小津に心酔しているアキ・カウリスマキの話をしたように覚えているが定かではない。でも、熱海で小津の話をすれば、話題は無限に広がっていく。中国の四川省からやってきた若者とは小津の話ができるのに、日本の若者と小津の話をしたことがない、というのは嘆かわしい、などと何か日本の現状を憂ういっぱしの大人のふりをしながら話したような気もするが、思い出すと恥ずかしいので思い出さないように努力する。
 居酒屋を出ると、雨は止んでいた。もちろん、趙くんは車の運転をするために、ウーロン茶を飲んでいたので、そのまま車で私を宿まで送ってくれることになった。
「先生、『東京物語』のあのお父さんとお母さんが歩いていたところ、分かりますか」
 趙くんが言うので、私は助手席で熱海の海岸までナビゲートする。
 趙くんは車を停める。私たちは車を降りて、防波堤に沿ってしばらく歩いて見る。すると、満月が煌々と光っていた。私と趙くんはしばらく熱海の海岸から月を見上げて、黙っていた。
 趙くんに送ってもらって宿に着くと、もう時間は日付が変わる頃だった。宿の窓からさっき見た月は見えるだろうかと、カーテンを開けてみたが、方角が違っていたのか山肌ばかりが見えるのだった。でも、ほんの少し窓を開けてみると、波が寄せる音だけは聞こえている。もどかしく、ぼんやりと山肌を見ていると趙くんから写真付きのメッセージが届いた。
「先生、今日はありがとうございました」
 そんなメッセージと一緒に送られてきた写真は、さっきまで一緒に見ていた熱海の海岸から見える月だった。そして、その月の写真にもメッセージが付いていた。
「先生、小津安二郎もこの月を見たのでしょうか」
 そう書かれていた。私は月の見えない自分の部屋の窓をもう一度開けて、波の音だけを聴きながら、趙くんが送ってくれた月の写真を眺めた。すると、自分の部屋からも月が見えているような気持ちになった。
「きっと小津さんも見ていたよ」
 私はそう返信したあと、月の写真をスマホの画面一杯に写してみた。そして、山肌しか見えない窓のあたりに掲げて、月を見ている気分を味わった。