本小屋から(6)

福島亮

 パリから東京に引っ越して数ヶ月のあいだ、奇妙な戸惑いが続いていた。それは単に生活している場所が違うという漠然とした違和感ではなく、市場のざわめきが聞こえないとか、木でできた螺旋階段がきしむ感じがしないとか、そういった具体的な感覚と結びついた戸惑いだった。なかでも、橋を渡るという行為が東京ではなかなかできないことに対する戸惑いは、引っ越してから数ヶ月間、消えなかった。パリはセーヌ川が弧を描いて街を横断しているために、どこへ行くにもたいてい橋を渡る必要があるのだが、いま暮らしている場所には橋がほとんどない。それがなんだか寂しかった。

 感熱紙に印刷された文字が時とともに薄らいで、最初は黒かった文字がセピア色になり、最後は読めなくなってしまうように、引っ越してから半年ほどすると、橋を渡る感覚も薄れていった。そんな感覚を持っていたことすら、ここ最近は忘れていた。先日、ベルヴィル通りの部屋を貸してくれていた大家さんに久しぶりにメールをしたところ、返信に「あのアパルトマンは売ってしまったよ」と書いてあった。そうか、もうあの部屋には気軽に遊びに行けないのか。メトロ2番線のメニルモンタン駅で降り、ベルヴィル通りを数十メートル進んだところにあるチュニジア人がやっているパン屋の横、深緑色の扉をあけ、ところどころ壊れ、少しカビ臭い螺旋階段で7階にあがって左手一番奥の部屋。当時私だけの場所だったあの部屋は、もう誰かのための場所になっている。そう思った途端、橋を渡る感覚や、階段の軋みや、市場のざわめきが、ほんの一瞬、よみがえり、消えていった。

 ある短い文章を書くために、マリー・ダリュセックが書いたパウラ・モーダーゾーン=ベッカーの伝記『ここにあることの輝き パウラ・M・ベッカーの生涯』を十二月後半から一月前半にかけて読んだ。ドイツ表現主義の先駆けと評されるパウラだが、伝記を読んでいると、パリの仕事部屋に対する彼女の情熱が印象的だった。自分の場所を持つことは、パウラにとって絶対的に重要なことだった。ベルヴィル通りの部屋にいたら、きっと螺旋階段を降りて、彼女が暮らした通りを訪問しただろう。それができないのは、もどかしい。

 私が本小屋に移ったのも、自分だけの場所が欲しかったから。あいかわらず本は増え続けており、最近そこに、雑誌『インパクション』のバックナンバー一式が加わった。春になったら本棚を増設しなければならない。こんなふうに一方的に増え続け——それを読むことが本当は重要なのだが——、読まれることを待っている本たちの視線を感じながら生活すると、なんだか落ち着く。

 だが、甘えてばかりもいられないことを、本小屋は教えてくれる。たとえば寝付きの悪い夜に、ふと辺りを見渡し、ガサガサと本棚を漁って、いくつかの本をパラパラとめくってみる。すると、本当に読みたい本がここにはない、という絶望的な気持ちになることがある。本当に読みたい本とは何か。それはよくわからない。自ら手に入れた本は、私が読みたいと思った本であることは確かなのだが、しかしそれは、「本当に読みたい本」とはどこか違う。というか、そんなふうに寝付きの悪さを口実にして、「本当」であることを求める私の身勝手さを、本が拒絶しているのだと思う。