肩を並べる

植松眞人

 社会人になって働くことの面白さや辛さもある程度経験した息子とは、年に数えるほどしか会わなくなったけれど、会うと必ず息子は小生意気な口をきく。小さな頃から小生意気だったので、それほど気にならないのだが私に似て腹の据わっていないところが見え隠れする言動にははらはらしてしまう。
 そんな息子には悪い事をしたなあと思うところがいくつかあり、その最たるものが引っ越しである。私の仕事の都合というか、簡単に言えば、事業の浮き沈みで引っ越しを余儀なくされることがリーマンショック以降多くなってしまい、なぜかそれが息子の受験と重なるのだ。高校受験も大学受験もそうだった。
 引っ越しも小さな家から大きな家へと引っ越すのであれば話が早い。あるものを全部持っていってもちゃんと収まる。けれど、大きな家から小さな家へと引っ越す場合は、持っているものを処分しなければならず、どうしても手間がかかってしまう。引っ越しの経験がある人ならわかるだろうが、持っているものを処分するというのは時間のかかるものだ。加えて、引っ越し前の数週間は家の中が持っていくものと処分するものでごった返して混乱する。
「なんで、僕の受験に合わせて引っ越しするかなあ」
 息子は不平不満で頰を膨らますのだが、仕方がない。ない袖は振れない。ない家賃は払えない。払えるところへ行くしかない。というわけで、リーマンショック以降、私たち家族は流浪の民のように少しずつ家のサイズを縮小しながら暮らしている。しかし、そんな流浪のなかでも住み心地の良かった家があった。数年間住むことになった千駄木の借家だった。猫を飼っていたため、マンションではなく借家を転々としていたのだが、千駄木の借家は隣に住む大家が元々猫好きということもあり、猫を飼うことにも好意的で、築年数は経っていたけれど広くて住み心地のいい家だった。
 千駄木の家に引っ越す前に住んでいたのは上石神井の借家で、ここはなんとなく陰気な感じのする家で、家が建っている周辺もうら寂しくなるような印象だった。神楽坂近くの矢来町から上石神井に引っ越す時がちょうど息子の高校受験と重なっていて、学校が終わると息子は馴染みだった神楽坂の夜はバーになるカフェで受験勉強をさせてもらっていた。バータイムが始まっても、客が少ないのをいいことにカウンターの端に居座って、参考書をめくり、わからないところがあるとカウンターの中にいた大学留年生に質問してページを進めるという毎日だったようだ。そんな暮らしの中でも息子は親孝行で、ちゃんと学費の安い公立高校に入学してくれた。
 しかし、どことなく陰気な上石神井の家にはたった一年住んだだけで千駄木へ引っ越すことになった。引っ越し前、千駄木の借家を下見に行った私は、居間の隣に小さな和室があるのを見てとても気に入ったのだった。静かな場所に建っている家で、その和室の窓からは隣の庭が借景となって気持ちの良い風がいつでも吹いているイメージをもたらしていた。それを見た時に、ここに机を並べれば、息子が毎日受験勉強をしていた神楽坂のカフェのカウンター席のようになるかもしれないなあと思ったのだった。それなら、私も息子の隣に席を並べて書き仕事をして、黙って時間を過ごすのもいいと思ったのだ。さすがに、そんな話を高校生の息子に伝えても嫌がられるだけだと思い黙っていたが、とりあえずそんなふうに作業ができるスペースだけは確保しようと考えたのだ。
 千駄木への引っ越しの日、業者が荷物を運び込んだあとの様子をみて、私は驚いた。荷物が溢れかえっていた。あれもこれも捨てたり処分したりしたはずなのに、まだまだ荷物があり、息子と肩を並べようと思っていた和室も物置と化した。そして、その状態は次の引っ越しまでそれほど変わらないままで、その間に息子は京都の大学に入学を決め、家を出て行ったのである。
 この話は息子にはしたことがない。しても嫌がられるか笑われるだけだと思い話さなかった。私自身もそれほど強く、それを願ってはいなかったはずで、それもいいなあという程度だったと思うのだ。それなのに、私と息子が肩を並べて、隣の木々が揺れる大きな窓に向かって、黙っている様子を今でも時々思い浮かべてしまう。そして、そんな風景を思い浮かべる時、もしかしたら、本当にそんなことがあったのではないかと思うくらいに吹いていたかもしれない風を感じ、どう考えても実際にはありえないような光のきらめきを思ったりするのだ。(了)