しもた屋之噺(259)

杉山洋一

ダヴィデより、トレントの山中レードロのぺルニチ山荘で、マーラーのアダージェットのピアノ編作を弾いているヴィデオが届きました。標高1600メートル、男性的な山肌に囲まれた山小屋のテラスに設えた小さなピアノの響きは、そのまま澄んだ山のまにまに吸い込まれてゆきます。

8月某日 三軒茶屋自宅
台風の接近により強風。小学校の校庭にはられたネットも風に煽られ鉄棒とふれて、カラカラ、チリチリ乾いた音を立てている。墓参の卒塔婆の音を想起させるのは、盆が近いからか。
クセナキスの楽譜を眺めていて、その昔、ギリシャ神殿で神々に畏怖を伝え、祈りを捧げる折、人々は何を思ったのだろうと考える。ひょっとしたら、ほんの少し、今の自分と重複するものがあるかもしれない。おののき、期待、不安、躍動。ディオニソス的な時間に足を絡み取られそうになりながら、なぎ倒されまいと懸命に足に力を籠めていて、とんでもなく巨大で壮大な存在が、うっすら浮かび上がる。外国為替は円安進行・1ユーロ159円とのニュース。日銀介入か。

8月某日 三軒茶屋自宅
毎日楽譜を開くたび、自らの読譜能力の欠落に憤りと不甲斐なさを覚え、呆れかえっている。
クセナキスのリズムは、出来るだけ読みやすく書き換えた。複雑すぎて現実的でない箇所は、一つ一つ近似値を計算し、簡単にして、頭で少しでも音が聴こえるよう腐心する。
尤も、複雑な連符群など、実際は単に音の揺らぎや連続的変化を数的に表現しているに過ぎず、それらも同族楽器群ごとには分けられていなくて、敢えてオーケストラを裁断し細分化したグループごとに変化するので、どう取り扱うのが一番真っ当なのか甚だ悩ましい。
ファジーな視点を排し、決然とした姿勢を心がけつつ、雨が降り、雪嵐にまみれ、つむじ風に翻弄される、自然現象に晒された自らの姿を、我々は直截に再現しなければならない。何某か確固たる指針を裡に築いておかなければ、漠然と立ちすくむばかりで、畏怖に翻弄されて、実体のない音を奏するばかりだろう。夜、息子と連立ち町田を訪ねる。彼はシチューを食べ、こちらは鯵のタタキを頬張る。

8月某日 三軒茶屋自宅
ちょうど1世紀前に作曲されたヴァレーズ作品について。
ピッチが不明瞭とされていた打楽器パートに旋律を与え、通常旋律を奏する管楽器は、使用する音高を徹頭徹尾限定してリズムを際立たせ、打楽器のように扱う。オーケストレーションの変革というより、発想の逆転である。とどのつまり、何の音であっても旋律は成立するのだ、君も漸く気がついたか、と諭されているように感じる瞬間すらある。
何がどう違うのか定かではないのだが、ストラヴィンスキーの「春の祭典」や「ペトルーシュカ」のような打楽器的音楽とも、根本的に成立過程は相いれない。
ストラヴィンスキーは、機能和声の延長線上で複雑な和声構造が成立しているし、明快な論理に基づき、土俗的リズムを生み出した。オーケストレーションも、伝統的な見地をもってしても全く無駄がない。
ヴァレーズは、オーケストラの楽器が出しにくい音を選び、敢えて書く。ヴァレーズは、ベルリオーズなど、伝統作品の指揮をよく手掛けていたから、譜面から彼が熟知した楽器法はよく見て取れるし、如何にして既存のオーケストレーションの概念から抜け出ようと試行錯誤していたのか痛感する。
新動機や、変奏を忍び込ませつつ、全体は、意図的に把握の容易な二部構造を踏襲したのは、聴き手は遡及しながら作品の物語性の共有が可能であって、確固たる全体の屋台骨は正確に把握を欲していたのではないか。
一見、直感的に演奏すべきかと感じられる音楽だが、常に何かを逸脱しようとしていて、その「何か」を常に意識しておく必要がある。

8月某日 三軒茶屋自宅
ハワイ、マウイ島で大規模火災。マウイ島はおろか、ハワイすら全く知らないが、マウイ島ラハイナと聞き、「波の盆」のラハイナ浄土院「盆踊り」を思い出す。ラハイナ浄土院も大仏以外焼失とニュースが報じている。

8月某日 三軒茶屋自宅
湯浅作品を勉強していて、音楽の息の長さに改めておどろき、息の浅い自分に呆れた。長いフレーズを、モザイク画のように、或いはちぎり紙細工のように、さもなければ点描画法のように細分化しながら、表面の触感を大胆に変化させつつ大きな運動でうねりを生み出す。細部を明確にし過ぎれば、推進力不足でフレーズが角ばってしまう。推進力に重点を置きすぎれば、音の粒子は光沢を失い、くすんでしまう。最後の練習で、突然演奏者全員の力が抜け、靄が晴れた思いに駆られる。離陸後の飛行機が、立ち籠める厚い雲を超えて、澄みきった青空に飛び出した時のような、不思議な感動を共有する。勉強しているとき、時折ドビュッシーのオーケストレーションを思いだしたのは何故だろう。

8月某日 三軒茶屋自宅
演奏会の最後、湯浅先生は思いの外お元気で、幾度も舞台上で万雷の拍手に応えた。その凛々しい姿には、ただ深い感銘を受けるばかりであった。

8月某日 三軒茶屋自宅
無事に演奏会は終わっても、未だにクセナキスをリハーサルする夢を見ては、あそこが合わない、ここがずれた、と魘され続けている。目が覚めると夢でほっとする。
プリゴジンが搭乗していたとされる、自家用ジェット機墜落。福島原発では処理水放出開始。

8月某日 三軒茶屋自宅
草津音楽祭でカニーノさんのレッスンを受けてきた息子は、レッスン内容を色々教えてくれる。彼はレガートは指で繋ぎ、ペダルでは繋げない。ペダルは音色の変化に特化して踏むのだという。
ポジション移動の際、準備はせず、そのまま飛べるよう訓練すること。スカルラッティ繰返しの変奏は、強弱ではなく、音色と装飾音を変化させること。替え指を頭ではなく、無意識に出来るようになること。小指を強くすること。掌で掴む塩梅で弾くこと。後10年もすれば、誰も暗譜で演奏などしなくなる。暗譜にかけるストレスより、楽譜を見ながら、より開放的に自由に弾くよう望まれる時代に入りつつある、云々。
齢18の息子が嬉々として話し続けていて、思わず感慨を覚える。

8月某日 三軒茶屋自宅
母曰く、義理の妹ミツ代さんが七月十二日に間質性肺炎で亡くなっていた、と息子さんから電話がきたそうだ。ミツ代さんの言いつけで、訃報は暫く経って伝えられたらしい。姉妹の母が眠る大津の信誠寺ではなく、久里浜のお墓に入ることになるという。眼の大きな、明るくはきのある、それでいて芯の強い女性だった。もう長年会っていなかったから、なぜか小柄な印象を持っていたが、実のところ母より背が高かった。
長年、レッスンでピアノを弾いてくれているマルコよりメールが届く。
先日、学校の運営関係者から電話があって、マルコの9月分契約予定日の拘束は必要なくなった、と言われたそうだ。春先だったか、「長年学校に勤めていながら、未だ終身雇用扱いされないのは不当」と弁護士を介し学校に抗議していた。

8月某日 三軒茶屋自宅
レプーブリカ紙、福島産海産物に舌鼓を打つ岸田首相の写真を大きく掲載。中国による日本の海産物輸入拒否と関係あるのか、日本国内の海産物流通価格下落。帆立貝刺身も安くなっていて、町田の両親宅でも二パック分存分に振舞ってもらった。日本の漁業関係者が本当に気の毒だ。
西武池袋本店ストライキ。そごう西武を米投資ファンドに売却とのニュース。アール・ヴィヴァンやカンカンポア、「今日の音楽」や武満徹。ロンドン・シンフォニエッタやネクサス。フランソワ=ベルナール・マーシュやファブリチアーニ。我々の世代にとって、追いかける夢を常に与えてくれる存在だった。
野坂惠璃さんのための新作題名は「夢の鳥」とする。野坂操壽さんが、生前アッシジ訪問を切望されていたと伺い、深く心を動かされた。

(8月31日 三軒茶屋にて)