トイレの窓から見える空の青さに、私は時間を忘れた。最初はぼんやりと、でも、知らないうちにわたしは空の青に入り込み何も見えなくなって青い世界にいた。青い世界はお風呂に似ていた。パパやママに内緒で深夜に入る静かなお風呂に似ていた。みんなが寝静まったあと、一人でお風呂を沸かして、そっと忍び込むように湯船に入って過ごす時間に似ていた。
湯船の中は青くはないけれど、空の青さと同じくらいに底なしだった。湯船の底に座っているのに、どこまでも沈み込んでいってしまいそうな心地よさと怖さがあった。誰かがわたしの足を掴んで引っ張れば、そのままわたしはこの世界からいなくなって、誰にも知られずに行方不明になってしまう。それを望んでいるような、怖れているような気分で、わたしはいつもじっと息を殺しながら湯船に身を潜めていた。
空の青さもそれに似て、こんなににぎやかなはずの学校のなかで静まりかえった空間をわたしにくれる。わたしは真っ青な空に浮かんでただ一人ぼんやりと漂っているような気分になる。アキちゃんやセイシロウはどうしているんだろう。そう考えてはみたけれど、もうそれだってどうでもいいことのように思えてしまって、わたしはただ心地よく空を感じているだけだった。
ふいに風が吹いた。そして、わたしの身体は青い空の真ん中で揺れた。身体が揺れるとさっきまで感じていなかったわたし自身の身体の重みが感じられて、わたしはバランスを崩した。一度崩れたバランスはもう絶対に元には戻らないと言うことをわたしは知っていた。右に左にへと微かに身体は振り子のように揺れ、その揺れは次第に大きくなり、空の青は少しずつ白っぽくなり、学校中のみんなの笑い声やバカ騒ぎする声がフェードインしてきて、わたしは一気におちた。わたしは自分の長い手足を大きく振って何かに捕まろうとしたけれど、空には何もなかった。そして、わたしの平べったい胸は、風に抗うこともなくまっすぐにわたしはおちた。死んでしまうとは思わなかったけれど、アキちゃんにもセイシロウにもごめんなさいと繰り返した。不思議とパパとママのことは思い出さなかった。いや、正確にはパパとママのことは思い出さないなあ、という形で思い出したのだけれど、それでも順番はアキちゃんやセイシロウの後だったし、それもすぐにわたし自身の平べったい胸が結局は大きくならなかったなあという思いに掻き消された。
セイシロウが手を握っていた相手がわたしだったら、わたしは嬉しそうな顔をしながらセイシロウの手を握り返していたのだろうか。誰の手も握ったことがないのだから、セイシロウ以外でもいい。誰が男の子から電車の中であんなにエッチでいやらしい手の握り方をされたらわたしは嬉しいのだろうか。たぶん、嬉しいのだと思う。わたしは身長ばかり伸びてしまったけれど、本当は平べったい胸と同じくらいに精神年齢の低い子どもなのだと自分で知っている。知っているから、アキちゃんがセイシロウと彼女が手を握っている様子をみて、すっかり興奮しているのを見逃さなかった。あの時、わたしはセイシロウよりアキちゃんの方が気持ち悪かった。セイシロウは目の前の気持ちよさに酔っていたけれど、アキちゃんは気持ちよさそうなヤツを見て気持ちよくなってしまい、それが恥ずかしいからとセイシロウに当たり散らしていただけだと思う。
結局、わたしはこの平べったい胸が大好きで大嫌いなんだと思う。身長に見合う大きな胸が欲しいとずっと思っていたのだけれど、それは人としてのバランスが取れるということで、わたし自身が大人になるということなのかもしれない。大人になりたい。大人になんかなりたくない。
「子どもか……」
とつぶやいた時には、空の青は元通り、トイレの窓から見える小さな四角に切り取られていた。洋式トイレの便座に座ったまま、そこにアキちゃんもセイシロウもいないことがとても哀しかった。普段誰もやってこない南校舎の四階の隅っこにあるトイレにわたしがいるということをあの二人が知らないということがとても寂しかった。その寂しさを映した空が青からオレンジに変わった。日が暮れて、高校生たちの話し声や部活のかけ声や自転車のブレーキの音が入り交じって窓から入り込んでわたしを包んだ。息ができないほどの寂しさにわたしは身動きもできずにいた。わたしの長い手足と身長は中学生だった頃のサイズに戻っていた。まわりに子たちを見て、毎日、あんなふうに大きくなれるんだろうかと悩んでいた頃のようにわたしは小さくなった。その小ささと平べったい胸はバランスが取れていて、わたしはちゃんと子どもになった。子どもになった私は安心してトイレの便座に座り直して、帰り道に家の近くのコンビニでどんなお菓子を買おうとかと、財布のなかの小銭を確かめ始めた。(了)