四月だというのにいつまでも桜が咲かず、長袖の薄手の上着が手放せない気候が続いた。なんとなくはっきりしない気持ちで、映画館にふらりと入った。平日の昼間の映画館に人があふれるような時代ではなくなって久しいけれど、この日はもう驚くほど人がいなかった。三百人くらいは入ろうかというそこそこ大きな箱の中に客は私を含めてたった五人。カンヌ映画祭で主演男優賞をとった映画なのに、この様だと本当に映画は終わったコンテンツに成り下がってしまったのかもしれない、という考えがよぎる。
映画はとても興味深い内容だった。主人公は小津安二郎の映画で笠智衆が演じていた男と同じ平山という役名を付けられていた。毎日、丁寧にトイレ掃除をして、銭湯に行き、馴染みの居酒屋で一杯引っかける。そんな毎日の合間に、主人公の平山は木漏れ日をフィルム写真に撮り、木の根っこあたりに芽吹いた若葉を持ち帰り、部屋の中で育てたりしている。週に一度くらいは行きつけのスナックに顔を出し、歌がうまくて色っぽいママに、ちょっとえこひいきしてもらってにんまりする。
日本を代表する役者が主演し、若い頃に憧れたドイツの監督が演出したこの映画がとても好きになった。翌日も観に行き、翌週にも観に行って二ヶ月の間に五回観た。五回観たときに、いやもういいだろう、と思ったのだけれど勢いでもう一回観て、都合六回も観てしまった。その六回目に観たときに、妙に気になったのは平山が髭を生やしているというところだった。
平山は髭を生やしている。鼻の下にだけ髭を生やし、その他はちゃんと電気シェーバーで剃る。そして、生やしている部分が長くなりすぎると、小さなハサミできれいに揃えたりする。その場面が二度ほど繰り返されるの見てふと気付いた。平山は人生をリタイヤして、ただそれ以上堕ちないように踏みこたえているのかと思っていたのだが、それは間違いだということに。だって、人生を絶望してリタイヤしてしまった人間は、たぶん毎日丁寧に髭なんて揃えないだろうと思ったからだ。
それで、私も髭を生やすことにした。今年六十二歳になるというのに、私はこれまでの人生で髭を生やしたことがない。無精髭が生えていたことはあるけれど、ちゃんと髭を生やしたことがない。だから、生やそうと思ってもちゃんと生えるのかどうかわからないし、髭が似合うのかどうかもわからない。でも、決めたからには生やす。なんだか決意にも似た気持ちになって、毎日髭を撫でてみたりする。
二週間もすると、なんとなく髭を生やしている、というふうに見えるようになった。朝、鏡を見ると鼻の下が黒い。ああ、私は髭を生やしているのだと、たぶん周囲から見てもわかるくらいにはなった。すると、私の鼻の下のは髭の生えない場所が出てきた。真ん中よりも少し右寄り、縦に一ミリくらいの幅で髭が生えないところがある。そこを見ていて、子どもの頃に鼻の下をケガしたことを思い出した。
小学校にあがったばかりのころ、散髪屋さんに行く途中、道の隅っこにあった細いドブ川を飛び越えて遊んでいたのだった。ドブ川の向こうとこっちをピョンピョン跳んで遊びながら散髪屋さんに向かっていたのだった。そして、落ちた。私は鼻の下をざっくりと切り、血を流して、病院にかつぎ込まれて二針か三針ほど縫ったのだ。
髭が生えてこないのは、その部分だった。まだ中途半端に生えかけている髭を触りながら、決して髭の生えてこない部分を撫でていると、不思議なことに、あのケガをした日に誰かに背負われて病院に運ばれているときの揺れを思い出した。あの時、私を背負って走ってくれたのは誰だったのだろうか。父親だった気もするし、通りすがりの人だったのかもしれない。
私はその人の背中がドブ川の泥で汚れていることを気にしていた。その背中で、私は血が付いてはいけないと顔を背中から上げていた覚えがある。本当にそうしていたかどうかは、わからないけれど、なんとなくそうしていたような気がする。たぶん、私は痛くて泣いていただろう。泣きながら、揺れている背中を心地よく思いながら運ばれていた。いま、そのときのことを思い出そうとすると、映画の主人公の平山が朝日を浴びながら泣きながら笑っている、あの奇妙な顔が浮かんでくる。その顔は、背負われている私の顔なのか、それとも私を背負って走ってくれた誰かの顔なのか。もしかしたら、二人ともあんな顔をしていたのかもしれない。
私は少し様になって生えてきた髭を撫で、髭の生えないところを撫でて、このまま髭を生やすかどうか迷っている。(了)