小田和正に抱かれて。

植松眞人

中学生から高校生にかけて、オフコースというバンドが絶大な人気を誇っていた。しかし、当時の男子でオフコースが好きだと公言するものはいなかった。少なくとも、僕は個人的にその声を聞いたことがなかった。♩さよなら〜さよなら〜♩と歌い上げるそのキーの高い声と、女々しく感じられた歌詞が、男子の聴かず嫌いを加速させていた気もする。そう言えば、タモリがオフコース嫌いを公言していたことも、なぜか男子中学生、高校生を強気にさせていたのかもしれない。そばに「オフコースが好き」という女子がいれば、あからさまに、必要以上に嫌な顔をしてみたりする程度に男は男であったわけです。

さて、そんなわけで、オフコース解散後の小田和正という人の歌もまともには聴いたことがなかった。ときどき、コマーシャルで流れる妙に押し付けがましい、当たり前のことをせつせつと歌い上げる歌声を聴きかじるのみだった。それがなんの弾みか、彼のアルバムを購入してしまったのだ。気の迷いとしか思えない。そして、♩だれかが〜どこ〜かで〜♩という歌声を聴いて涙ぐんでしまったのだ。おそらく、これは小田和正が好きになった、ということではない。その確信がある。真剣に付き合った恋人とうまくいかなくなった女性が、いろいろ努力した挙句に、結局その恋人と別れてしまい、その直後にずっと口説かれてはいたけれど、面白みのない男に弾みで抱かれてしまった。というくらいに、自分でも信じられない状況に陥ってしまったのだ。

小田和正の「どーも」という本当に意味不明なタイトルのアルバムを聴いて、僕も一瞬、これだけグッときたのだから、これだけ涙ぐんでしまったのだから「いままでのように聴かず嫌いではいけない。ちゃんと聴いてみよう」と何度となく聴いてみたのだ。

そしてある瞬間に、ふと思ったのだ。ああ、親戚のおじさんだ、と。僕にとって、小田和正の歌は、割に嫌いではない親戚のおじさんなのだった。間違っちゃいないが、そんなに力説されても困るなあ、ということを、法事で集まった親戚一同のすみっこの方で切々と訴えられているような感じ。だから、時にものすごく納得するし、でも、心のどかで「当たり前のやんけ」と反発したい気持ちが消えることがない。

というわけで、小田和正に抱かれてしまった僕ですが、次は納得できる男が現れるまで、ふしだらな恋はしないことをここに誓います。