夜のバスに乗る。(3)小湊さんが僕を好きになった理由。

植松眞人

「ねえ、もう少し、僕のことを好きになった理由を教えてくれないかな」
 僕は思いきって小湊さんに聞いてみた。だって、なんだかこんなふうに同じ空間にいて、同じ時間を共有しているのに、僕はなんだかひとりぼっちのような置いてけぼりを食っているようなそんな気持ちだったから。
「私が斉藤くんのことを好きだった期間は本当に短いの。でも、かなり好きだったのよ」
 小湊さんは言った。
「例えば、教室の中でみんなが動きはじめる瞬間ってあるじゃない。授業が終わって、一斉に立ち上がるとか、そういう時。マスゲームのように同じタイミングで、同じ方向を向くとか、そういうんじゃないの。一応区切りはあって、でも、動き方は人それぞれってときがあるじゃない。私はそういう瞬間が好きなのよ。そういう瞬間を眺めていたいの。だから、教室の後ろの方の席が好きだし、みんなが出て行ってしまったあとの教室から、一人で出て行ったりするのが好きなの。こんな話をすると、私がいろんなものを達観しているような、妙に収まったものの見方をしているように思えるかも知れないけど、そうでもないのよ。私はどちらかと言えば、気が弱いし、知らない人とはあまりうまく話せない。だから、きちんと人を見ていたいし、状況を把握しておきたいのかも知れない。まあ、そうやっていても、なんだかうまく行かないことばかりだし、同じクラスの女の子のことだってなにひとつ分かってはいないんだけどね。それでも、少し安心するの。なんだか教室にいるのに、一人だけぬるいお風呂に入っているような、そんな気分になっちゃうのよ。膝小僧を抱えてね。唇のギリギリのところまでお湯に浸かってね。そこへあなたなのよ。いつもいちばん最後まで動き出さないでしょ、斉藤くん。みんなが教室から出て行ってから教科書を片付けて、冬ならコートを着て、ゆっくりマフラーを巻いて。なのに、私のようにみんなの様子を見ているわけじゃない。ただ、自分のペースが遅いだけ。そんなゆっくりしたサイトウさんを教室のいちばん後ろから見ていると、なんだかものすごく幸せな気持ちになったのよ」
 小湊さんはそこまで話すと、僕の方を見てにっこり笑った。
「でもね、先週、好きじゃなくなったのよ」と小湊さんが言って、僕はほっとした。小湊さんの話を聞きながら、小湊さんのような女の子に好かれるのはちょっと大変なことかも知れないと感じていたからだ。
「どうして好きじゃなくなったの」
「好きじゃなくなったって言われて嬉しそうね」
「嬉しくはないよ。ほっとしたけれど」
「やっぱり面白いね、斉藤くんは」
「面白いと好きとの境目はどのあたりにあるんだろう」
「ほんとね。でも、そういうことを言っちゃうところが面白いのよ」
 そう言って、小湊さんは僕を見た。
「私が斉藤くんを好きじゃなくなった理由はね。というか、嫌いになったわけじゃないのよ。好きじゃなくなった、というのもちょっと違うわね。大好きじゃなくなった、という感じかな」
 そこは僕にとって大きな問題ではなかった。
「先週、授業が全部終わって、教室を出て行くとき、斉藤くん、私のほうを振り返ったでしょ」
「覚えてないよ」
「振り返ったのよ。あの時、なんだか悲しくなっちゃったの」
「どういうこと?」
「なんだろう。振り返るタイミングじゃなかったんだよ。きっと、私にとって」
「じゃまくさいな」
 僕が笑うと、小湊さんも笑った。
「じゃまくさいね。でも、人は勝手に思い込む生き物だもねの」
 小湊さんが僕のことを好きではなくなった理由は、正直よく分からなかったけれど、でも、僕が振り向いたタイミングが、小湊さんのタイミングじゃなかったという話は、なんだか僕の腑に落ちた。どんな物事にも最適なタイミングというものがあって、みんなそのタイミングを求めて右往左往している気がする。だけど、なにをやっても最適なタイミングでなにかができる、ということは滅多になくて僕たちはそのことに一喜一憂したり、誰かのことを勝手に、素敵だと思ったり、いまいちだなと思ったりしている気がする。そんなふうに思いながら見ていると、小湊さんは本当に抜群のタイミングで、バスのシートに身体を預けて目を閉じた。
 僕のタイミングで目を閉じた小湊さんを眺めた。小湊さんは割りに細くて、色が白いのでいままで気付かなかったのだけれど、唇や耳たぶが厚くてとても柔らかそうだった。でも、温かそうには見えなくて、それがじゃまくさい小湊さんには似合っている気がした。
(つづく)