飛ぶ矢も停まる

高橋悠治

循環する時間には
始まりも終わりもない
循環は往復とはちがう
起源も目標も見えない
もし時間を線と見るなら
どれほど遠くても行先があり
一つの方向があるだろう
思ってもみなかったことが起っても
どこか似たことが どこかに見つかれば
ふりかかる偶然にも理由が見つかった気になる
循環と言っても毎回やりなおしではなく
記憶が残り 積もっていく
その記憶も少しずつ入れ換わっている
何かが変わると時間を意識するが
何かをしているうちは時間は経たない
どれほど長くても一瞬のうち


ことばはことばでないものを指し示す。飛ぶ矢より藪を叩く棒にすぎなくても、そこから何か出てくるかもしれない。ことばは発達し分岐しているから、狙ったものに当たらなくても、そのほうがおもしろい場合だってあるだろう。時間はカテゴリーで、線も循環もたとえだが、瞬間はそのどちらでもなく、時間でさえもないのだろう。