ジョコ・トゥトゥコ氏の訃報

冨岡三智

『水牛』2003年3月号~4月号に「ジャワでの舞踊公演」という記事を寄稿した。残念ながら記事が古すぎて、『水牛』バックナンバーにはないのだが、この公演を主宰したジョコ・トゥトゥコ氏が9月28日13:30に亡くなったという報せがその日の夕方にインドネシアから入って、私はまだ頭が混乱している。トゥトゥコ氏(本当はジョコ氏と呼ばれていたのだが、私の師匠のジョコ女史と間違えそうなので、ここではトゥトゥコ氏とする)、は私の宮廷舞踊の師のジョコ女史の息子だ。スラバヤの国立教育大で舞踊を教えていた。私が国立芸術大学スラカルタ校に2回目の留学(2000年~2003年)をした時、トゥトゥコ氏はちょうど2000年から開校した同芸大大学院1期生として入学して(この当時は、大学院入学者のほとんどは現役の大学教諭であった)実家にいたので、それで師匠の家や芸大大学院のイベントでよく顔を合わせていた。そして、芸大大学院の修了制作の舞踊公演で、私もトゥトゥコ氏の振り付けた作品の踊り手の1人に選ばれた。その時の女性舞踊家は4人で、私以外は私と一緒にジョコ女史に宮廷舞踊を習っていた芸大教員たちだ。そのうちの2人はトゥトゥコ氏と一緒に大学院に入っていた。この時のトゥトゥコ氏の修了制作は、祖父の宮廷舞踊家クスモケソウォ~母の舞踊家・指導者ジョコ・スハルジョ女史~ジョコ・トゥトゥコ氏の3代に渡るジャワ舞踊の系譜をテーマにしていた。私の出た作品以外に、クスモケソウォの作品がその弟子(ジャワ舞踊界の大御所である)たちによって踊られ、観客もクスモケソウォの弟子たちが集まった。半年くらいの時間をかけた練習は私にとってとても大きな経験になっただけでなく、トゥトゥコ氏がインタビューに行くときに私も連れて行ってもらい、多くのことを学ばせてもらっていたのだ。

たまたま今年の2月、このトゥトゥコ氏の公演に出演した舞踊家の1人から連絡があった。公演出演者がもらった記録映像(VCD)が壊れてしまったが、再コピーしてもらえないか、トゥトゥコ氏に聞いてほしいと私に依頼してきたのだ。それで連絡を取ったところ、やはりマスターは残っていなかった。が、私が撮影させてもらっていたリハーサルの映像をyoutubeにアップさせてもらえることになった。というわけで関係者には喜んでもらえたのだが…。そんなやりとりがあり、8月の独立記念日にも色々メールでやり取りしていたのに…。自分がうかうか生きている間に、何の恩返しもできないうちに、お世話になった人に早々と先立たれてしまうのはつらい。