4月29日は世界ダンスの日である。インドネシアでは、私が留学していたインドネシア国立芸術大学スラカルタ校を中心に、いろんなダンスイベントが展開される。ちなみに、この芸大でのイベントは2007年に始まり、私もその初回に出演した。当時の状況について2015年5月号『水牛』で書いているので、関心のある方はそちらも併せて読んでもらえると幸いである。
さて、今年の4月29日、スラカルタ王家は「王宮芸術フェスティバル(Karaton Art Festival 2025)」と銘打って独自に公演をライブ配信した。男女の舞踊が1曲ずつで、女性舞踊は「スリンピ・ロボン」完全版が上演された。スリンピは女性4人によって舞われる曲の形式である。私もこの作品の完全版を2021年に日本で上演しているので、今回はこの作品について語ってみたい。なお、今回のスラカルタ王家の配信公演も私の2021年公演の映像も、以下のリンクから見ることができる。
・スラカルタ王家公演 https://www.youtube.com/live/voU4992v3C8
・私の公演 https://www.youtube.com/watch?v=eGp-HCEy7_M&t=2177s
「スリンピ・ロボン」の楽曲編成は(1)グンディン形式の「ロボン」~(2)「パレアノム」~(3)ラドラン形式の「コンドマニュロ」で、3曲つなげて演奏される。完全版で上演すると入退場を別にして約40分で、スラカルタ王家に伝わるスリンピ曲の中では短く易しい曲に分類される。この作品はパク・ブウォノ8世(在位1858-1861年)がまだ皇太子であった1845年に創らせたものである。当初、楽曲はペロッグ音階ヌム調だったが、即位時に現在のようにスレンドロ音階マニュロ調に改められた。なお、スラカルタ王家の配信でこの舞踊曲の制作年は1774年だと解説されていたが、これは半ば間違いである。この曲はジャワ暦1774年、すなわち西暦1845年に創られた。
上にスラカルタ王家の完全版と私の公演での完全版(私の師匠の名を取ってジョコ女史版とする)の両方のリンクを挙げたが、実は同じ完全版でありながら少し違う部分もある。スラカルタ王家で指導するムルティア王女も私の師匠(故人)も主として教わった人は同じダルソ女史だが、他にもそれぞれ習っている人があり、また宮廷舞踊は細かな改訂や解釈を積み重ねて練り上げられてきたので、これらの改訂の過程で違う段階の振付が残っているのだと思っている。この「スリンピ・ロボン」は私が留学して1年目に王家の定期練習でよくやっていた曲で、私もとても好きでジョコ女史の個人レッスンではリクエストして2曲目に習った曲だ。どちらの振付にも思い入れがあり、貴重な振付だから、どちらの振付も残ってほしいなと思う。
で、一番大きな差異が1曲目のグンディン形式の部分である。スリンピ舞踊では必ずララスという手を曲げたり伸ばしたりする振付になるのだが、その回数が違う。王家版では右~右~左~右と4回繰り返す一方、ジョコ女史版では右~右~左~右~右~左~右の7回で、また左のララスをする時のフォーメーションも両者で異なる。右、左と書いたが、これは伸ばしたり曲げたりする手がどちらかを示している。
他のスリンピ曲でもララスの振付に関しては王家版のような進行の曲がほとんどだが、ジョコ女史版の「スリンピ・ロボン」のやり方は「スリンピ・ラグドゥンプル」と同じである。実は後者もまたパク・ブウォノ8世(在位1858-1861年)がまだ皇太子であった時――しかも同じジャワ暦1774年――に創られ、王の即位に際して舞踊形式や音楽の調が改められた曲である。というわけで、ジョコ女史版の振付にも納得する。
次の違いは2曲目の「パレアノム」部分の振付。王家版ではゴレッ・イワッと呼ばれる振付だが、ジョコ女史版ではウンバッ・ウンバッと呼ばれる振付である。前者は1曲目から2曲目への移行部(テンポがどんどん速くなる)で使われる定番の振りで、スリンピ4曲で使われているが、実は後者も定番と言って良く、3曲――「スリンピ・ロボン」と「スリンピ・グロンドンプリン」という弓を持って踊る2曲の他、「スリンピ・ルディラマドゥ」――で使われている。ただ「スリンピ・グロンドンプリン」は、少なくとも私が現地で学んでいた期間はスラカルタ王家では行われていなかった。
その後2曲目で様々動きが展開し、1度目の戦い(弓合戦)が行われた後、音楽は3曲目に突入する。弓合戦で負けた方が座り、勝った方が負けた人の方を向いて行う最初の振りが異なっていて、ジョコ女史版ではウクル・カルノ、王家版では何と呼んでいるかは知らないが(名前がないことも多い)、「スリンピ・スカルセ」にも出てくるものに似ている。
2回弓合戦があった後(勝ち負けが交代する)、今度はピストルによる戦いがある。多くのスリンピでは戦いの場面の中心はピストル戦だが、この曲や上でも述べた「スリンピ・グロンドンプリン」(手に弓を持つ)、「スリンピ・アングリルムンドゥン」(手に弓を持たない)では弓合戦がメインで、2回の弓合戦を経て手短にピストル戦を1回だけ行う。ちなみに、スラカルタ王家ではピストルは持たずに踊るので(昔は持つこともあったらしいが)、一般の人は言われない限りピストル戦を描いているとは分からないだろう。ジョコ女史版では座った人が立つ時にすぐにピストルを抜くが、王家版ではピストルを抜く所作は省略されていて、別の動き――しかし踊り手が立つときの定番の動き――を行う。スリンピの振付としては、両方の動きがあるのが望ましいが、歌がちょうど良いところで終わるために動きを減らす必要があり、それで両方のバージョンが生まれたと思う。論理的にあくまでもピストルを抜くべきだと考えるか、立つ所作が優美な方を優先するかは、指導者や踊り手の解釈や美意識によるだろう。
というわけで、4月29日の配信を私は楽しく嬉しく見た。何より、スラカルタ王家の宮廷舞踊の完全版振付の美しさを愛する私は、こんなふうに短縮せずに上演される機会が増えてほしいと願っている。