昨年の大河ドラマ「真田丸」では、時代考証を担当する研究者のドラマに関する発信がいつになく多かった。その中で最も驚いたのが、史料に基づく実証的な研究が進んだのが1990年代以降、特に豊臣政権樹立後から江戸時代に入るまでの期間に関する史料に即した研究が進んだのはここ5年ほどだということ。そんな最近のことだったとは思いもよらなかった。大河ドラマが始まったのは1963年だし、その原作になるような、史実を踏まえた司馬遼太郎らの歴史小説が書かれ始めたのもその前頃(だいたい1950年代後半)からだ。とすれば、今まで私たちが小説やテレビドラマ、映画で見てきた関ヶ原の戦いや大坂の陣などのエピソードなどは何だったのかといえば、実は江戸時代の講談や明治以降に作られたフィクションが多いのだという。
真田十勇士がフィクションだということは分かるけれど、合戦研究なども明治になって陸軍参謀本部が兵士の教科書として作り上げた部分が多く、実証的ではなかったのだそうだ。このことは研究者には当然の事実なのかもしれないが、私には驚きだった。このドラマでは、史実通りではないとクレームがきた描写が、実は最新の研究成果から分かった史実に基づく描写だった、という状況が時々起こっていた。ところが、時代考証者や脚本家自身の反論があればあったで、史実通りに描けば良いというものではないとか、皆が良く知っていることは史実でなくても入れるべきだと矛盾したことを言う人もいて、結局、人はヒストリーよりも自分の信じたいストーリーを好むのだなあと感じたことだった。
そんなところが気になってしまうのは、インドネシアでの出来事とつい比較してしまうからだ。インドネシアで以前、ある大学教授―ということは知識人―と話をしていた時に、その人がインド伝来の叙事詩である『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』を歴史(sejarah)として認識していて、そのことに私は大変面食らったことがある。私自身は、それらは歴史的な記憶が反映されているとしても物語(cerita)であり、実証的な歴史とは違うと当然のように思っていたからだ。その後、同様の経験をした日本人と会って、インドネシアではこれらは歴史として認識されているようだという話で盛り上がったことがある。
田中千鶴香氏によると、historyとstoryは元々は一つの語で分化したものらしく、現代英語でもhistoryに「時間にとらわれない自然現象の体系的記述」という意味があるのだそうだ。ということは、史実かどうかを問わず出来事のつながりを物語ることがヒストリーであるらしい。そうなると、インドの叙事詩もヒストリーだし、実証的でなかった今までの関ケ原合戦の語りなどもヒストリーだということになるのだろうか。上で、「人はヒストリーよりも自分の信じたいストーリーを好む」と書いたけれど、むしろ「人は自分の信じるヒストリーが否定されると怒る」ということだったのだろうか。