そういえば、ここでインドネシアのワヤン(影絵)について書いたことがない。私は特にワヤンの愛好家でもないが、ジャワの舞踊や文化を知る上では見ておいた方が良いと思っていたので、留学中や留学前から機会があれば見に行った。と言っても、ワヤンの村祭りのような雰囲気が好きなだけで、内容や言葉についてはあまり勉強しなかったが…。というわけで、今回はインドネシアで見たワヤンのうち印象深いものについて書いてみよう。
●1994年3月22日(火) アノムスロトの家で見たワヤン
まだ留学前、2週間ほどスラカルタに行った時のこと、有名なダラン(影絵奏者)のアノムスロトが毎月(ジャワ暦で35日毎)自宅でワヤンをやっていると宿の人が教えてくれて、見に行った。当時はどういう趣旨でやっているものか全然知らなかったが、かなり後になって、アノムスロトが後進への指導のためルギの水曜日(彼の誕生曜日)になる夜に自宅でワヤンをしていたと知った。今調べると、その日はルギの水曜日になる夜なので、その一環だったのだろう。私が見た時の演目はブロトセノ(キャラクター名)の話だった。見に来ていた人の多くはワヤン好きの近隣の人という感じだった。子供もいたし、私の隣には不倫カップルと思しき中年の男女もいて、女性が男性に膝枕してもらって見ていたのを覚えている。突然行った私も入れてもらえ、絨毯敷きの床に座って一晩見た。全然意味は分からなかったが、一晩のワヤンてどういうものだろう…という好奇心だけで、頑張って見た気がする。
●1996年5月16日 仏教のワヤン
スラカルタ王宮のシティヒンギルという空間で見る。仏教の祭日であるワイサックを祝うイベントで、ワヤンの前に仏教徒の大学生たちによる仏教テーマの舞踊が上演された。ダランはテジョ何とかという人。何枚か撮った写真を見る限り、ワヤンの人形などは普通のワヤンと同じだったようだ。
●1998年2月20日 ルワタン・ヌガラ
ルワタン・ヌガラとは国家的な災厄を祓う儀礼という意味。このワヤンについては、『水牛』2008年3月号「スハルト大統領の芸術」で紹介したことがある。当時のインドネシアはアジア通貨危機に端を発する経済危機に見舞われ、また、スハルト長期政権に対する人々の批判も高まっていた。その時期に、スハルト大統領は全国各地で(確か50ヶ所くらい)ルワタンと称してして「ロモ・タンバック」という演目を上演させた。これは『ラーマヤナ』物語の中で、ラーマがアルンコ国に渡るためにサルの援軍の助けを借りて川を堰とめるという内容である。スハルトはクジャウィン(ジャワ神秘主義)の師から自身はラーマに当たるとされていたため、この国家的災厄をラーマたる自分自身の手で乗り切ることを示す意図があったのだろうと感じられる。スラカルタではグドゥン・ワニタ(婦人会館)で、女性の女性問題担当国務大臣を迎えて上演された。ダランは3人、演奏は芸大で、有名どころの歌手がズラーッと並んだ。ワヤンの導入部ではスカテン(ジャワ王家のイスラム行事で演奏される音楽)をアレンジした壮大な曲が演奏された。
●2000年10月28日 ワヤン・ゲドグ
ブンガワン・ソロ・フェアというイベントの一環としてマンクヌガラン王宮で上演される。ダランはバンバン・スワルノで、彼は同王家付きのワヤン・ゲドグのダランであり、芸大教員でもある。演目はパンジ物語を題材とする『ジョコ・ブルウォ』。ワヤン・ゲドグというのはパンジ物語やダマルウラン物語を題材とする演目群である。現在ではワヤン(影絵)やワヤン・オラン(舞踊劇)の演目のほとんどはマハーバーラタ物語で、私もパンジ物語の演目を見たのはこの時しかない。当初の話では2時間短縮版ということだったが、4時間以上の上演だった。実は、ワヤン・ゲドグではグンディン・タル(影絵開始前に上演される曲)として宮廷舞踊『スリンピ・スカルセ』で使われる一連の曲が演奏される。
●2000年大晦日 ミレニアム・ワヤン
2001年は1000年に一度のミレニアム・イヤーというわけで、スラカルタにあるタマン・ブダヤ(州立芸術センター)のプンドポ(伝統的なオープンなホール、儀礼用)ではいつもとは違う特別のワヤンがあった。一晩のワヤンなのだが、夜中の0時に一時中断して、各公認宗教の長たちが集まって祈りを捧げ、続いて詩人のレンドラが登場してガムラン音楽をバックに詩を朗誦した。この音楽を担当したのはデデッ・ワハユディだが、ワヤンのようにレンドラを登場させるイメージで音楽をつけたとのこと。そして、ワヤンのダランはトリストゥティ。実はこの人、1965年9月30日事件(共産党によるクーデター未遂事件と公称される)で投獄されて14年間島流しとなり、釈放後の20年間も活動ができなかったが、スハルト退陣により1999年からダランとして再活動できるようになったという人である。スハルトはこの事件をきっかけに頭角を現し、30年余の軍事独裁政権を敷いた。今調べたところでは、トリストゥティはスカルノ大統領の尊敬を受けてしばしば招聘されていたが、共産党とは関係がなかったという。ところで、このミレニアムという概念はそもそもキリスト教のものだが、当時のインドネシアではこれまでのスハルト時代の終焉と自由の時代の到来に対する希望が託されていたように思う。
●2001年1月20日 クリスマスのワヤン・ワハユ
インドネシア国立芸術大学スラカルタ校のプンドポで見る。年が改まったがクリスマスに付随するイベント。ワヤン・ワハユはキリスト教の聖書を題材にしたワヤンのこと。ダランは同芸大教員のスボノで、彼はクリスチャン。芸大と隣の3月11日大学(=UNS)のクリスチャンの集まりが主催だったが、上演の最後にキリスト教関係の催しでの上演承ります~!と宣伝していたことが印象に残っている。
●2002年3月31日 集団ルワタン
ウォノギリ県にあるガジャ・ムンクルという人造湖畔にある観光施設で行われた集団厄払いのワヤンである。地元の若い人に伝統文化に触れてもらうため、また観光誘致用に行われたもので、集団ルワタン以外にマンクヌガラン王家による宝物巡行や、人々が家宝にしているクリス(剣)のお清めサービスが行われた。ちなみにマンクヌガラン王家が協力しているのは、ウォノギリが元々同王家の領地だから。ルワタンの方だが、キ・ワルシノというルワタンができる家系のダランによって行われた。厄除けされる人たち(自治体に参加申し込みをする)の人数が多いという以外は普通のルワタンと同じで、多くの供物を用意して昼間に行われ、時間も長くはない。ダランは祭司としてルワタン用のワヤン演目を上演し、最後にマントラを唱えて、厄払いを受ける人たちの髪に順次鋏を入れていく。ここではその髪を白い布に包み、湖に沈めて儀式は終了した。私がワヤンのために遠出をしたのはこの時だけで、ダランと懇意な知人に一緒に行ってもらった。
●2007年8月26日 ジャカルタ新知事を迎えてのワヤン
ジャカルタ市政62周年&ジャカルタ知事選挙の成功を祝してのワヤンで、新ジャカルタ知事(ファウジ・ボウォ)と副知事を主賓として開催されたワヤン。ダランはマンタップ、演目は「Sesaji Raja Suya」と記録にある。王への捧げものという感じの意味のようで、新知事を祝福するにふさわしい演目に見える。実はこの日、私はジャカルタ芸術大学でたまたまスリンピの公演をしていた(私自身のプロジェクト)。スラカルタの芸大教員3人と上演したのだが、私がジャカルタに来ることを知った人からこの公演にVIPとして招待されたのである。その人とはこの公演の少し前の8月16日夜に放映されたトーク番組『キック・アンディ』に出演した時に知り合った(番組収録は8月1日)。というわけで、私は公演が夕方に終わって共演者を駅に送ってからワヤン会場に直行した(開始ぎりぎりに滑り込み)。一応、新知事とも握手をしたのだが、夜の12時頃から新聞社での取材があったので、11時過ぎに会場を抜けた。