12年前の丑年1月、私は『ジャワのスス(牛乳)屋の話』を書いていたが、今年は水牛について書いてみよう。実は、インドネシア語で干支の丑はサピsapi(牛)ではなくクルバウkerbau(水牛)と言う。調べてみると、牛はウシ科ウシ属、水牛はウシ科アジアスイギュウ属に属し、水牛の原産地はアジアだという。現在でも世界の水牛の95%がアジアに生息しているらしい。そういえばこのサイトの名も『水牛』だ…。
ジャワ暦大晦日の夜から新年(ちなみに2020年にかけて行われるスラカルタ王家の宝物巡行には、聖なる白い水牛が登場する。水牛と聞いて私がまっさきに連想するのがこの行事で、2020年9月号「ジャワ暦大晦日の宝物巡回」と、2003年6月号「スラカルタの年中行事(1)」でも紹介した。夜中の0時、王宮からキヤイ・スラメットの水牛の群れを先頭として、槍などの王家の宝物の列、それに随行する王族、王家家臣、参加希望者(村落などから団体で参加する)らが伝統衣装で正装して列をなし、一晩かけて王宮を取りまく区域(約5kmの距離と本にあった)を巡行し、明け方に王宮に戻ってくる。これは単なるパレードではなく、主催者にとっては町を清める儀礼であり、参加者にとっては祈りの行である。そのため参加者は無言で裸足で歩く(王族は履物を履く)。沿道には夜中まで大騒ぎしてこの行列を見ようとする人であふれているが、ジャワでも正月は昔の日本同様に寝ずに迎えるもの、つまり眠らないという一種の行をしていることになる。この行のことをティラカタンと言う。
沿道の人たちの中にはキヤイ・スラメットに餌を差し出す者もいる。キヤイ・スラメットに食べ物を差し出すとご利益があるとされているからだが、それはこの時だけに限らない。キヤイ・スラメットが飼われている地域付近では、キヤイ・スラメットに店や屋台の商品を食べられても、人々はかえって有難がったものらしい。また、キヤイ・スラマットの糞を肥料にすると農作物がよく実るといって、この巡行の際に糞を拾って持ち帰る人もいるという。ちなみに、王宮のイスラム行事がある時には、王宮モスクからグヌンガンという米や野菜など食物で造った神輿が出るが、この神輿の枠に使う竹ひごなどを持ち帰って田圃の四隅に埋めたり挿したりすると豊作になるという話もある。水牛の糞の話といい、この神輿の話といい、ジャワ王権が農耕基盤であることがよく表れている。
さて、このキヤイ・スラマットという水牛は何なのか。それを議論した4年前のインドネシア人の論文や新聞記事が見つかり、読んでみた。実は私も長年、なぜキヤイ・スラメットは聖なる水牛なのか疑問に思っていたのだ。それらによると、キヤイ・スラメットはポノロゴの領主(中部ジャワに近い東ジャワの都市名)からパク・ブウォノII世に贈られたアルビノの水牛のことで、ラデン・マス・サイドが著した『ババッド・ソロ』(ソロ年代記)にそのことが書かれている。それは都がまだスラカルタに移転する前の話である。パク・ブウォノII世はこの水牛を気に入り、王国の宝物を先導するのにこの水牛を用いたという。この水牛は王家で飼われ、子孫はすでに何代にもわたる。その故事にちなんで、ジャワ暦大晦日から新年の巡行でも、このキヤイ・スラメットの子孫の水牛が先頭を歩くのだと言う。ただ、なぜその初代のキヤイ・スラメットが聖牛とされたのか、なぜポノロゴ領主がパク・ブウォノII世にその水牛を送ったのかは、すべてが口承伝承のため依然として謎のようだ。ただ、王家の人々や一般の人々の実践を通じて、キャイ・スラメットは豊穣繁栄の象徴として定着し、この大晦日の行事のアイコンとなった。