少し前の出来事だが、大相撲巡業中に土俵上で倒れた市長の救命処置をした女性に対し、行司が土俵を降りるようにアナウンスするという事件があり、大相撲の女人禁制は伝統か? 神事か? と取り沙汰された。この時にツィッタ―で知ったのが2008年の論文「相撲における『女人禁制』の伝統について」(吉崎祥司、稲野一彦)で、女人禁制は相撲界の地位向上のため明治以降に虚構されたと結論づけている。その論文によれば、日本書紀に最古の女相撲の記録があり、室町時代の勧進相撲には女人も参加しており、江戸時代には女相撲の興行があったが、文明開化後も存続するため、相撲は単なる見世物興行ではなく、武士道であり朝廷の相撲節の故実を伝えるものであるという理由付けが必要となったというのだ。
見世物ではないと主張するために儀礼性が強調されるようになったという経緯には私も納得するのだが、逆に、見世物だからこそ相撲協会は儀礼性や伝統を強調したがるのではないだろうか。なぜなら、単に相撲はレスリングの一種だと紹介するより、古代からの伝統や女人禁制の神事だと紹介する方が人々の関心を惹き、集客がアップするだろうからである。
そう私が思うのは、私自身がインドネシアでスラカルタ宮廷様式のスリンピとブドヨの自主公演をそれぞれ実施した経験による。スリンピもブドヨもジャワ宮廷女性舞踊の演目で、私はどちらもほとんど上演されない元の長いバージョンで上演した。スリンピ公演をしたのは2006年11月で、スラカルタの国立芸術高校の定期ヌムリクラン公演(毎月26日に行う公演という意味)に組み入れてもらった。(詳しくは水牛2007年4月号、5月号の記事を参照)。一方、ブドヨ公演をしたのは2007年6月で、これはスラカルタにある州立芸術センターでの単独公演として行った(ただし芸術センターと共催)。ブドヨ公演にはチラシやポスターをデザイナーに作ってもらって印刷したが、スリンピ公演の時は自分でパソコンで作ってコピーしたちらしのみ。しかし、この3年あまり続く定期公演では普段はちらしさえ作っていない。それでも伝統舞踊が見られる場として定着し、観客もついている。私はどちらのケースでも事前にスラカルタのマスコミにプレスリリースをしてPRに努めた。世間の反応は同じようなものだろうと思っていた。
その結果だが、ブドヨ公演の時はプレスリリースを見た芸術制作団体が記者会見の場を設けてくれた。コンパス紙は公演練習の取材に来てくれたし、地元のFMにラジオ出演もした。最終的に計19回、新聞や全国誌に公演情報から公演評まで掲載され、公演後に全国放送のテレビ番組にも呼ばれた。ところが、その半年前のスリンピ公演の時には、メディアには全く取り上げてもらえなかった。同じようにプレスリリースしたのに…。しかし、ブドヨ公演の後で知り合った記者たちがブドヨは儀礼舞踊だから…と言うのを聞いて、私も悟ったのだ。
ブドヨとスリンピは並べて言及されることが多く、振付もあまり違わない。ブドヨがスリンピに、スリンピがブドヨに改訂されることも少なからずある。スリンピであれブドヨであれ、私にとっては現在ほとんど上演されない長いバージョンを復興することに意義があるのだが、記者たちにとっては違った。ブドヨは報道すべき価値のある儀礼舞踊だが、スリンピはそうではなかったのである。確かに、歴史的にはブドヨの方が古く、スリンピの方がより新しい形式である。特に、スラカルタ王家には即位記念日にのみ上演されるブドヨの演目があって、ジャワの王家の祖が南海の海で女神とあって結婚し、王権を得たという神話を描いている(ただし同じブドヨでも他の作品にはそのような意味ははない)。だから、ブドヨ=儀礼という観念はジャワ人には――特に文化記者たちには――馴染みのあるものなのだ。スリンピも宮廷儀礼として説明されることが多いはずだが、ブドヨの方がより定着していたということだろう。このスリンピとブドヨの公演のメディア掲載数の差は、「儀礼」という語が持つ集客力を表しているように見える。
こんな経験をしているので、儀礼というレッテルは、人々の見たいという欲望をかきたて、見世物としての価値を高めるものだと思わずにいられない。それは相撲協会だけでなく、他の伝統儀礼にも多かれ少なかれ言えることでもある。