公演『幻視 in 堺 ―南海からの贈り物―』の演出(2)

冨岡三智

第2部のスリンピ公演では、舞踊の展開に沿って照明をつけた。私が宮廷舞踊に照明をつけたのは、①2007年に中部ジャワ州立芸術センターで宮廷舞踊「ブドヨ・パンクル」完全版の公演をした時が初めてで、その次が②2012年に豪華客船ぱしふぃっく・びいなす号の「西オーストラリア・アジア楽園クルーズ」で「スリンピ・スカルセ」を上演した時(録音使用)、さらに③2017年に能舞台で宮廷舞踊「スリンピ・アングリルムンドゥン」の前半を単独舞踊にアレンジして踊った時(日本アートマネジメント学会第19回全国大会<奈良>関連企画)、そして、④2021年の公演『幻視 in 堺 ~能舞台に舞うジャワの夢~』で「スリンピ・ロボン」を上演した時である。また、⑤宮廷舞踊ではないけれど、自作の「陰陽」を2019年に能舞台で上演した時も、宮廷舞踊と同じコンセプトで照明をつけた。これらの照明プランは全部自分で考えている。

ジャワ宮廷舞踊で一番重要なのは、振付(動きとフォーメーション)が音楽形式と連関し、音楽の展開に沿って振付が変化していく点だと私は考えている。ジャワのガムラン音楽では曲の変わり目にテンポが速くなって、新しい局面(曲)に突入するのだが、一般の観客にとってはテンポが変化したかどうかすら分かりづらい。あるいは、舞踊の後半では2組の踊り手の間でそれぞれ戦い(ピストルを撃つ)が起こり、負けた方が座る。そのピストルを撃つまでの緊張感の高まりも分かりづらい(実はこの曲は似たような動きが多いので、演奏者にも分かりづらい)。このような変化を視覚的に分かりやすくするために照明をつけるというのが私の基本的な考えである。だから、生演奏で公演する時にはガムラン音楽が分かる人が照明を担当するか、あるいは照明担当者に指図する必要が出てくる。というわけで、③④⑤では元ガムラン演奏家でもある人に舞台監督兼照明指示係をお願いしている。②のクルーズ船での公演では録音を使用したので、秒単位で進行表を作成して指示出しをすることができたが、やはり生演奏ではそれは難しい。

ジャワで2007年に初めて照明をつけた時、実は賛否両論だった。日本では能や日舞といった伝統舞踊では地明かりにするのが普通なように、ジャワでも伝統舞踊にはフラットな地明かりというのが一般的で、照明をつけるなんて古典を冒涜していると批判した人もいたくらいだった。とはいえ照明は無色のみで、赤だの青だのは使っていないのだが…。日本でも同じことを言われるかもしれないという危惧はあったが、アンケート結果ではその批判は皆無だった。しかし、これが能の公演であれば言われる可能性はあるように思う。その差が興味深いが、日本人にとってジャワ舞踊は自分たちの伝統舞踊ではないということなのかもしれない。

上で、ピストルを撃つと書いたけれど、実際にピストルを手にするわけではなく(実際に持つ場合もある)、サンプール(ウェストに巻いて前に垂らした長いショールのような布)を手にすることでそのことを象徴的に表す。そして、戦いののち負けた方が座ると、立っている人だけを照らすようにする。もっとも、立っている人は座っている人の方に近づいていって周囲を廻るので、その時は座っている人も照らされることになる。たぶん、舞台照明なんてものがなかった時代、踊り手の一部が座るということは、その人たちは映像の画面から外れるようなものだったと思うのだ。舞踊が作られた当時に照明器具があったら、きっと、宮廷舞踊家は振付と音楽の展開だけでなく、照明の展開も一致するような作品を作り上げたに違いないと私は思っている。そして、それはきっとこんなものだったろうというものを、私は創造的に再現している。