まだ行けていないのだが、奈良国立博物館で「空海KUKAI―密教のルーツとマンダラ世界」展(4/13~6/9)が始まった。関連番組を見ていたら、密教は陸のシルクロードだけでなく海のシルクロードも経由して伝わったということで、インドネシア国立中央博物館所蔵の小さい金剛界曼荼羅彫像群(10世紀、東ジャワ)も立体的に並べて展示されるとのことである。また大きな立体曼荼羅の例としてボロブドゥール遺跡も紹介されていた。
この番組で仏像が立体的に展示されているのを見ていたら、今にも動き出しそうな気がしてきた。そこでふと、2004年4月号『水牛』に「私のスリンピ・ブドヨ観」というエッセイを寄稿していたことを思い出した(バックナンバーに収録あり)。私は4人で舞う宮廷舞踊スリンピは一幅の曼荼羅を動画として描く行為なのではないか…と直感で書いた。当時、私は河合隼雄の本をよく読んでいて、曼荼羅がユング心理学において自己の内界や世界観を表すものとして重要な意味を持つことを知って、スリンピ=曼荼羅説に意を強くした。…のだが、といって特に曼荼羅について勉強はしていなかった。この番組を見たあと曼荼羅が気になり、いま正木晃著『マンダラを生きる』(角川ソフィア文庫)を読んでいる。曼荼羅の視覚上の特徴は以下の5つという(p.26)。
①強い対称性
②基本的に円形
③閉鎖系
④幾何学的な形態
⑤完全な人工環境であり、自然はない
曼荼羅というと私には方形というイメージがあったので少し驚く。世界を4等分するような、数学の座標軸のようなイメージである。同書によると、曼荼羅は実際に方形のものも多いが、完成度の高い曼荼羅の基本形は円形とのこと。もっとも、私はスリンピの振付は中央にある磁場を回る舞踊だと思ってきたので、基本は円形だという認識は無意識にあった気がする。スリンピは人工的というのも分かる。振付には自然のモチーフから取られたものがあっても、それ自体を描写するわけではなくてとても理念的だ。人間の喜怒哀楽やらの感情をそこにこめて表現するということもできない。だから、私が留学していたインドネシア国立芸大の先生の中で、スリンピなどの宮廷舞踊が実は苦手だ、物語のある舞踊の方が表現しやすいと打ち明けてくれた人もいる。
スリンピは密教経典に基づいた教えを描いているわけではないので、あくまでも曼荼羅として私が解釈しているに過ぎない。けれど、正木氏の言うように上のような特徴を持つ似た図形は世界中に広くあって、ヒンドゥーにもキリスト教にもイスラムにも、古代ケルトにも、アメリカ先住民にも見られる。ユングも重視しているように、精神の原型とみなすことができる。「マンダラは、象徴という手段をとおして、対極にある存在どうしの熾烈な葛藤を調和に導き、崩壊していた秩序を再統合し、その結果、患者と世界が和解してゆくための、きわめて有力な方途になりうるとも、ユングは考えました」(p.45)とあるけれど、この説明は宮廷舞踊の特徴として説明される内容――欲望を抑え対立や葛藤を経て、調和や悟りの境地に至る過程を描く――と同じで、全人類に共通する根本的なパターンの表現だなあと感じている。
実は11月23日に再びスリンピを含む公演を堺市でする。堺市での公演はこれが3度目で、スリンピも3度目。また練習が進んだら内容を告知していきたいけれど、世界に共通する曼荼羅のイメージを描く舞踊をお楽しみに!