師事すること

冨岡三智

これまでのエッセイでも書いてきたけれど、私にはジャワ舞踊で師匠と呼べる人が何人かいる。最初はもちろん模倣から入る。できるだけ師匠のようになりたいと思って、私はその師匠の動きをできるだけ模倣する。

けれど、いつの頃からだったか、私は眼前の師を最終的なものとは思い定めなくなった気がする。それは師匠を乗り越えたいという意味でも、その師匠の域に近づかなくてもよいという意味でもない。師匠が体現している境地のその先を見たい、師匠が見ようとしている方向を目指したい、と思って進んでいくのが師事することなのだという気がしている。

師匠の背中を追って行くと、遠くにほの暗い光があって、師匠の背中越しに光が漏れてくる。師匠はその光の方へと踏み出していく。その光源から遠く離れた所にいる他人の目には、私と師匠の距離やブレは大きく感じられるかもしれない。けれど、その光源の位置から見れば、ほぼ一筋に重なってそれぞれの道をたどって来る2人が見えるかもしれない。