平成の最後、昭和の最後

冨岡三智

平成天皇が万感を込めた誕生日の会見のお言葉を述べて1週間後、平成最後の正月が穏やかに明けた。昭和最後のお正月はこんなものではなかったな…と不意に思い出す。

ご病気の昭和天皇を憚って様々な行事が取りやめとなり、私的イベントまでが不謹慎だと自粛された。その年、私は大学4年生だった。卒論を仕上げるため、帰省せずに1人で下宿に残っていた。1月7日、大家さん(1人暮らしのおばあさん)のわざわざの知らせで私は崩御を知り、卒論締切(10日)間近という緊張感がぷつんと切れてしまった。戦後生まれで格別天皇びいきでもない自分がそのような感情に襲われるということは、経験するまで分からないことだった。あれは、戦後という1つの時代が終わったという虚脱感のようなものだったのだろう。

卒論を提出した翌日、友人と大学の門前のファミリーレストランで卒業旅行の打ち合わせをすることにしていた。しかし、そこも他の店も軒並み臨時休業していて、結局、大学で打ち合わせした。崩御の日から多くの飲食店が休業していたのは本当だった。あの同調圧力の強さは、戦時中はかくやあらんという雰囲気だった。

平成天皇の退位によって、やっと昭和的なものが良くも悪くも終わるのだろう。私は明治〜大正〜昭和と生きた祖父母のように三代を生きることになり、「昭和は遠くなりにけり」なんて感慨をそのうち漏らすのだろう。