『水牛』2016年8月号に「ジャワの立ち居振る舞い」と題して、座り方(胡坐や立膝)、座った姿勢からの立ち方、歩き方(座り歩きやナンバ)などについて書いたことがあるのだが、今回は、ジャワ(スラカルタ様式)の宮廷舞踊を中心とするジャワ舞踊の基本姿勢について少し書いてみる。
●立つ
体を正面に向けてまっすぐに立ち、腰を落とす(mendhak)。ただし、スラカルタ王家の女性の踊り手はやや前傾する(mayuk)。一般的にこれは良くないこととされる。私もその傾向があるのでよく注意された。彼女たちが前傾するのは視線をより下に落とすためだと思われる。
●視線
視線はまっすぐ前方に向けるのではなく、前方の床に落とす。これは、宮廷では王と視線を合わせないようにするためである。私の師匠(1933年生)の場合、自分の身長分だけ前方の床を見るようにと言ったが、芸大では3メートル前方、大劇場なら5メートル前方を見るようにと教わった。私の身長は158センチメートルだから、3メートル前方の床を見るというのは2倍ほど遠い所を見ることになる。私はジョコ女史には芸大留学以前の1991年から師事していたから、芸大に入ってかなり感覚が違うと驚いたものだ。一方、ジョコ女史と同世代で、幼少から宮廷に上がって踊り手(ブドヨと呼ばれる)となったS女史は、1メートル前方を見る、視線が横を向くときは肩山を見る、と言う。これだと、踊り手はかなりうつむくことになる。さすがに現在では、王家の踊り手でもここまで下を向くことはない。
S女史とジョコ女史は同世代だが、その立ち姿の印象はかなり異なる。そして、そこに、王家の踊り手としてその封建的な環境の中で生きてきたS女史と、芸術高校で定年まで伝統舞踊の指導に当たっていたジョコ女史との生き方の違いが見て取れる。また、同じ王家の中でも、王女たちが踊る時の視線は家臣(abdi dalem)であるブドヨよりも高い。このことは私が留学中に芸大で行われたセミナーでも話題に出たことがあるが、舞踊には踊り手の立場が反映されることもある。ジョコ女史の次世代である芸大の教員・学生たちになると、視線をより高く上げてより広い舞台空間の中で踊るようになる。これは芸大が伝統舞踊の改革に積極的で、舞台芸術としての教育を進めてきたからだと言える。そんな風に、踊り手の姿勢には舞踊を取り巻く社会や立場、空間の認識の仕方が表れる。
●手の構え
体は正面を向き、手は横に伸びる。踊り手の身体は凧のように(ワヤン人形のように、と言うべきか…)、左右に平たく広がる。肘が体の線より後ろに出る(mbedhah geber)のは良くない。一番基本のポーズは、右手を伸ばし、左手は肘を曲げて手首が腰骨の前にくるようにするものだろう。この時、ジョコ女史は脇に卵1個を挟むくらい開けるようにと説明したのだが、芸大では脇がもっと開き、手の位置が高くなる。そのため身体がより大きく、型がより明確に見える。大きい空間では映えるのだが、宮廷舞踊の演目には踊り手の身体が頑丈過ぎるように見えてしまう…と私自身は思っている。
●空間
ジャワ舞踊が前提とするのはプンドポという方形の儀礼空間である。プンドポは王宮や貴族の邸宅に必ず備わっている建物で、壁がなく、多くの柱で高い屋根を支えている。その中央の4本の柱で囲まれた空間で、儀礼たる舞踊は上演される。芸大大学院の主催する公演で教員たちとプンドポで宮廷舞踊を上演した時、当時大学院を指導していたサルドノ・クスモ氏から、ジャワ舞踊ではプンドポの4本の柱を意識することが重要だよとアドバイスされたことが心に残っている。
ジョコ女史の自宅にはプンドポがあり、舞踊の稽古もそこで行われていた。家族の冠婚葬祭の儀礼もプンドポで行われ、私もしばしばそれらの儀礼に立ち合った。スラカルタ出身でジャカルタ在住の舞踊家にプンドポの感覚があると褒めてもらったことがある。その人は、ジャカルタの自分の弟子たちは舞踊は上手いものの、プンドポの感覚が伝えられないと言うのだ。私に巧拙は別としてプンドポの感覚ができているのだとすれば、それはやはりこのレッスン環境の賜物である。そして、ジョコ女史の基本姿勢がそのプンドポ空間に見合っており、それが私自身の空間把握の核となったのではないかと感じている。