ジャワ舞踊の多くには歌があるけれど、私は踊る時に歌詞の意味をあまり重視しない。それよりも音や響きの方を重視している。舞踊劇であれば、歌は台詞でもあるので心情を歌った歌詞が作られているし、新しい伝統舞踊作品の中には振付に対応した歌詞を新しく作っている場合もあるので、そういうのは別である。
ジャワで宮廷舞踊『ブドヨ・パンクル』完全版を2007年に公演した時、念のためスラカルタ王家の事務の人から王宮の文学担当者?図書館の人?に歌詞の意味を確認してもらったことがあるのだが、果たして歌詞は女性の美しさを表現しているけれど、特別な意味はないという返事だった。確かに、踊り手としてこの歌を聞いていると、歌詞はコロコロと玉を転がすような心地良い音の響きの連続で、そこに確かに女性らしい美しさが感じられる。私は歌詞は聞いていなかったけれど、音楽の美しさと歌詞をのせた声の響きの美しさに推されて舞い切ったという感覚がある。
その後、『スラッ・ウェド・プラドンゴ』という戦前に宮廷音楽家が書いた音楽伝書を読んでいたら、この『ブドヨ・パンクル』の歌詞の冒頭の歌い出しは「王の命令により歌う」という意味で、これを改訂した王(パクブウォノVIII世)が即位する前の歌詞は「王」の部分が「王子」だったという話や、また、歌詞の中にある「王は身体のことで指示を与える」という意味になる部分はサンカラという修辞法(象徴的な言い回しの中に特定の年号や出来事などを忍ばせる)が使われていて、VIII世の即位年であるジャワ暦1787年(西暦1858年)を意味しているという話が出てきた。これらを読んでへーとは思ったものの、舞踊の振付には全然関係がないなとも思う。舞踊を改訂した王の時代にそういう修辞法が流行して、既存の歌詞の中に少し入れこんだだけなのである。
2023年11月号『水牛』に寄稿した記事「ジャワ舞踊のレパートリー(3)自作振付」でも書いたけれど、私が自作『陰陽』(2002年)のためにデデ氏に委嘱した曲が、2003年頃にインドネシア国立芸術大学スラカルタ校教員のダルヨ氏が振り付けた舞踊「スリカンディ×ビスモ」の中でも使われている。この作品の音楽もデデ氏が担当したのだが、歌詞は私の作品のためにデデ氏がつけてくれた(私の好みに合わせて、災厄を祓うようなフレーズなどを既存の詩などから取っている)歌詞そのままである。私の舞踊作品のテーマは『マハーバーラタ』から取ったスリカンディ・ビスモの戦いの話とは全然関係がないが、曲の旋律はスリカンディ・ビスモの舞踊の中でもふさわしいシーンで使われている。このように、歌詞は意味が大事というより、音楽の旋律と一体化してある種の感情を催させるもので、旋律を歌う手段として歌詞があると考えた方が良い。
『現代能楽講義』(天野文雄著)の中に、昭和の名手と言われた能楽師が、ある能で中入りして楽屋で衣装を着替えつつ狂言役者が舞台でその能の筋を語るのを聞いて、この能はこういう能だったのかと言ったという逸話が紹介されていて、天野氏も、謡を謡っている時は誰しも不思議にその意味を考えたりしないものだと書いている(p.6)。詩劇である能でもそうなのだから、ジャワ舞踊ではましてそうなのだろうと思う。