舞踊の映像を見る時に、私は音を消して見ることがよくある。こうすると、動きの質がよく見えてくる。伝統舞踊に音楽や歌はつきものだから、そのリズムやメロディにどうのっているのかが、舞踊では重要なポイントになる。けれど、その音楽があるために見えなくなるものもあって、それが身体の内の流れなのだ。
音楽を消してみると、見えてくるのは手足や頭の動きだけ…ということが意外に多い。振りの順番も覚えていて、舞踊のレッスンで教えられるような点もできている。けれど、胴が死んでいるみたいというか怠惰で、動いていないと感じられることがよくある。たとえて言えば、クラスの数人(手足)は掃除しているのに、その他大勢(胴)は知らんぷりしているような感じだ。ここで言う胴の動きとは、オケッogekやオヨッhojogのように胴を動かすことに焦点が当たっている動きのことではない。
舞踊を習うと、焦点が当たっているところを意識して動かすことはできるようになる。音楽に合わせて動くと焦点の動きはきまり、恰好良く見える。けれど、その音楽という支えを外して見ると、その焦点の動きが有機的に統合されているのか、個別にばらけているのかがわりと見えやすくなる。
音楽の流れとは別に、動きは動きとして自立した全体の流れがある。焦点が当たる前にそのパーツに動きをもたらすような動きが、また焦点が当たったパーツの動きをその後に身体の各部に波動させていくような動きの流れが、胴の中を行き交ってひとつながりの流れになっている…、そして、その流れが音楽の流れに自然と重なってくる…。おそらく、舞踊と呼ばれるに値する質の動きは、そんな有機的で自律的な動きを意識することによって生まれてくるのではないかな…と私は感じている。もちろん、私自身がまだまだ発展途上なのだけれど、そんなイメージを持つのがまずは大事かなと思っている。