インドネシアでのテレビ出演

冨岡三智

先月「己が姿を確かめること」その1を書いて、本当は今月はその2を書こうと思っていたのに、うかうかしている間に月末になってしまった。実は、この9月6日に1年1ヶ月のインドネシアでの活動を終えて帰国。まだ、どうも日本のモードになじめていない。というわけで、その2はもうちょっと練って来月に書くということにして(今度こそ本当!)、今回は急遽、インドネシアでテレビ出演した経験について書いてみよう。

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7月28日頃のこと、「”キック・アンディ”という番組に出演してほしいが、8月1日にジャカルタに来れますか」という電話が、いきなりメトロ・テレビ局からある。私は同テレビ局に何のツテもないので、全然事情が分からない。とりあえず「よろしいです」と答えると、それでは事前の30日に自宅に予備取材に行きます、その取材はソロ地域担当の者が行きますから、その人からまた電話を入れてもらいます、ということだった。

その電話から30分か1時間後、今度はG社から電話があって、8月1日にメトロ・テレビ局が来てソロで公開トーク・ショーをしたいけれど、出演できますか? という話が来る。私の頭はよけいに混乱し、さきほど同局から電話があって同じ日にジャカルタに来いという話だったけど…と伝えると、G社も驚いている。

けっきょく、事情は次のようなことだった。
G社はイワン・ティルタというインドネシアを代表するバティック作家が衣装デザインを手がける公演(全国巡回)をプロデュースしていて、私はそのパンフレットにジャワ宮廷舞踊スリンピ、ブドヨについての文を寄稿している。その公演が8月3日にソロであるので、G社はそのプレ・イベントとして、その作品の振付家やら私やらを招待してソロで公開トークショーをしようと考えたらしい。メトロ・テレビはその協賛会社の1つである。それで、外国人でジャワ宮廷舞踊の調査と公演をしている人がいると、G社は私のことをメトロ・テレビに話したらしいのだ。

それが、ちょうどメトロ・テレビの「Kick Andy(キック・アンディ)」という番組では、8月のインドネシアの独立記念日の特集の一環として、インドネシア芸術に本格的に取り組む外国人を紹介しようと構想していたらしい。そこに私の情報が流れたようで、出演ということにあいなった。ちなみにG社がソロでやろうとしていたイベントは中止になったようである。

テレビ出演の話がきたのは嬉しいが、実は私はテレビを持っていなかったので、その「キック・アンディ」という番組がどんな番組なのか知らなかった。それできゅうきょ身近な人に聞いてみると、司会のアンディはなかなか知的で、トーク番組の質が高いということで定評があるらしい。そういう番組だから、君もしっかり受け答えしないと駄目だよ、などと知人に説教される。

7月30日(月)07:00-09:00 自宅での取材
こんなに朝早くの取材になったのは、ソロからジャカルタに宅配便で取材テープを送るタイムリミットが、この日の10:00だったから。前日は私が市外に行く用事があって都合がつかなかった。この日は、自宅(私は1軒家を借りていた)の玄関で記者を迎えたり、2階の居間で踊りの練習をしたり、いろんなシーンを30分くらいも撮っただろうか。実際に編集されると、ほんの1、2分しか使用されていなかったが、テレビの人が何に目をつけるのかが分かって、とても勉強になった。

8月1日 ジャカルタでの収録
撮影は夕方ということだったが、07:00発の飛行機でジャカルタへ飛ぶ。メトロ・テレビの職員が車で迎えに来ていて、ホテルに直行。昼食は部屋でルームサービスを取って、16:30にホテルに迎えが来る。テレビ局に着いたのは17:00頃だろうか。

収録は18:30頃からということで余裕があると思っていたら、「番組では伝統衣装で少し踊ってもらいますので、着替えて下さい」と言われて仰天する。伝統衣装を持って来いとは言われていない! どうやら連絡で行き違いがあったらしい。

急に余裕がふっとんで、テレビ局の衣装部屋で衣装探しにとりかかる。とりあえず頭を普通にお団子に結ってもらう。サングルという、伝統的なヘアスタイルのつけ毛がここにはないのだ。それよりも、ジャカルタの、しかもテレビ局の衣装室には、中部ジャワの様式のカイン・バティック(腰に巻くジャワ更紗)も、クバヤ(上着)もなかった。一応バティックもクバヤもあることはあるのだが、スンダ風だったり、プカロンガン風だったり、またえらくモダンだったりして、中部ジャワの伝統舞踊に取り組む私が着るものとしては、無理がある。

スタッフでソロ近郊の出身の若い人がいて、私が中部ジャワの伝統デザインについて説明すると、そんなデザインはジャカルタにないです! でもお祖母さんなら持っているかも…と言ってくれて、結局、なんとかそのお祖母さん所有のものを借りることができた。時間が迫る中、必死でバティックに襞をとる(中部ジャワでは前中央に襞をとって着付ける)。クバヤはぶかぶかで詰襟というのがちょっと違うのだが、集めた中では一番クラシックなデザインで、またマイクを仕込むにはちょうど良いぶかぶか加減だった。

さて本番。開始前にスタジオでアンディと挨拶。スタジオには300名の視聴者が入っている。この番組は生放送ではなく、編集したものを後日放送する。というので、実際には、放送されたものより質問の内容が多かったし、言い損いがあるたび取り直しもあり、さらにスタジオ視聴者のためのコンサートタイムみたいなものもあった。

収録が終わってホテルに帰ると23:30を過ぎている。ここで初めて空腹を覚え、夕食をテレビ局で食べていなかったことに気づく。お弁当は用意されていたのだが、衣装のことであたふたしている間に収録になってしまったのだった。なんだかどっと疲れてしまった。いつもテレビに出演している芸能人は、こんな毎日が続いて大変なんだろうな、と思いをめぐらす。
翌日、飛行機でソロに戻る。

8月16日(木) 22:05-23:05 放送
8月19日(日) 15:05-16:05 再放送

今回の番組のテーマは「Kami Juga Cinta Indonesia」(私たちもインドネシアを愛しています)。独立記念日(8月17日)がらみの特集なので、8月中に絶対放映しますということだったが、なんと記念日の前日である。ただ、インドネシアでは独立記念日の前日には市町村でそれぞれ夕方から夜にかけて行事があり、さらにその後も一晩中いろんなイベントがあるので、案外、テレビを見ていない可能性も高い。私の知人の多くも日曜の再放送で見たという人が多かった。そういう私は、近所のテレビがある家に行って見せてもらう。そこは私もよく利用するよろずやさんで、いつも夜遅くまで店を開けているのだ。

8月24日(金) 17:00-19:00過ぎ キック・アンディ・オフ・エア

テレビ放映が終わって、これでおしまいだと思っていたら、この番組にはテレビ放映されないオフ・エアという催しがあるらしく、その出演依頼が8月20日頃に来る。基本的に放映されたときの出演者を再度招待して、その放映された映像をスクリーンで見ながら、視聴者と対談するというもの。毎週金曜にやっているらしい。これはテレビ局内ではなくて、ジャカルタのチキニという所にあるカフェ・バーみたいな所で実施している。オフ・エアの催しではインターネットで申し込んだ100名の視聴者を招待することになっているらしい。アンディによると、私の出た回の視聴率は良くて、電話やメールでの反響も多かったそうだ。

ちなみに私は8月26日にジャカルタ公演を控え、22日からジャカルタに行って準備をすることにしていた。公演の場所もチキニなので、非常に具合が良かった。

放映された番組では、元オーストラリア人、現在インドネシア人でワヤン(影絵)の人形遣いであるガウラ氏と、日本人でジャワ舞踊家の私と、オーストラリア人でインドネシアのテレビ番組で俳優やレポーターとして活躍するワハユ氏の3人がゲストだったのだが、ワハユ氏はテレビの仕事でアチェに行っているとかで、私とガウラさんの2人がこの日のゲストだった。ガウラさんは、さすが人形遣いだけあって、口が達者で、質問のほとんどはガウラさんに向けられる。今回は、かなり鋭い、突っ込んだ質問が多く、本音のトークになったことは幸いだった。私たち外国人が惹かれているインドネシア芸術の強みを、もっとインドネシアの人々が再認識してくれたら、と思う。