第4回インドネシア舞台芸術見本市

冨岡三智

今月は、先月書いた「都市文化という意識」の続きについて書くつもりだったのだが、6月5日から9日までソロで行われた第4回IPAM(イパムと読む)=インドネシア舞台芸術見本市(インドネシア観光文化省主催)について先に書いておきたいと思ったので、いつものことながら「続きはそのうちに〜」ということにさせてもらう。私は2年前にバリで開かれた第3回IPAMにも出席していて、水牛の2005年7月号、8月号にその内容を書いている。併せて読んでいただけると幸いである。

今回は前回から比べて大きく規模縮小し、またかなりの変更があった。

まず出演団体は、前回の27組に対して今回は10組、しかもその内5組が地元ソロからの出演だった。(ただし前回もソロからの出演者は多かった。)

次に見本市の舞台となる会場が高級ホテルから芸術大学になった。前回はすべての催しがホテルで行われ、かつ海外からのプレゼンターも観光文化省のお役人もそのホテルに泊まっていたのに対して、今回は、プレゼンターやお役人らは郊外の高級ホテルに泊まり、ワークショップだけそのホテルで開催したものの、舞台芸術の催しは全部芸術大学で、開会式はソロ市長公邸で、閉会式はマンクヌガラン王宮で、と市内の複数会場で行われた。

さらに、今年のIPAMの公演には一般の人々も入場できるようになった。そのためもあるのだろう、見本市の催しの上演の合間(30分)に、次の会場の入口前でアトラクションの催しも行われた。

今回のIPAMを見た感想を一言で言うならば、インドネシアの舞台芸術を海外に売り出したいというのが主目的なはずなのに、単なる普通の公演、あるいはソロ市観光プロモーションイベントみたいになってしまって、見本市のテーマがぼやけてしまったという感じがする。

その理由の1つが、肝心のプレゼンターがほとんどいなかったこと。前回の66組に対して今回は海外から4組+国内からほんの少しだったのだ。プレゼンターに来てもらわなくては、売れるものも売れまい。今回の事務局は前回とは別の会社だが、一体どういうプロモーションをしたのだろう。ともかく、外部からのプレゼンターがほとんどいないために、観客層は、ソロで芸術イベントがあるとやってくる常連の人々になってしまった。半数を占めるソロの団体にとっては、異質の観客層に向けて公演するせっかくのチャンスがなくなってしまった。

プレゼンターが少ないという以前の問題として、実行委員会や事務局側にも、外国人を受け入れる態勢があまり整っていなかった。

たとえば、会場がホテルの仮設ステージではなくて芸大にある専用の劇場(プンドポ、大劇場、小劇場)であったことは、芸術上演の観点からは望ましい。しかし、これはプレゼンターらにしてみればかなり不便なことだった。なぜなら芸大の劇場にはロビースペースがほとんどなく、周辺にも、ちょっとお茶を飲んだり休憩したりできる施設がほとんどないからである。まして外国人が抵抗を感じない程度にこぎれいな施設となると皆無である。前回はホテルですべてのことが済んだので、上演の合間に出演者や他のプレゼンターらと話をすることができた。本当はイベントを見ることもさることながら、こういうコミュニケーションを取ることの方こそ大事だと思うのだが。

さらに各催しの合間の30分(夕食時は1時間)にアトラクションがあったが、私には不要だと思える。実行委員会の1人に聞くと、これは委員会の方から芸大に依頼したことだという。しかしこれは、一般のインドネシア人観客の気質―時間が空くと帰ってしまう―対策としては有効かも知れないが、見本市の内容を見に来た外国人プレゼンターにしたら、疲れさせるだけの代物だ。

この見本市では1演目の上演時間が45分になっている。見終わったら少し休憩して気分を切り替えて次の演目に臨みたいと思っているところに、劇場の外で、大音量のスピーカーでにぎやかな民俗舞踊や音楽、その他が始まるのである。私だけでなく、他の日本人や外国人の友人にはこのアトラクションは不評だったし、プレゼンターや実行委員会側の人たちもあまり見ていなかった。ともかく、落ち着く暇がない。こういうやり方は都会的でない、田舎臭いとある友人が評したが、全く同感だ。重要なのは会場の中で行われる公演の方なのだし、プレゼンターはそれらを見にわざわざ海外から来るのだから、普通に考えたら途中で帰るわけがない。それよりも、最後まで疲れずに公演を見てもらえるように環境配備をすることの方が重要だ。そのために必要なのはアトラクションではなくて、静かにゆっくり休憩できる場所の設置と清潔な飲食物の準備だろう。

このアトラクションは開催地であるソロ市の文化を印象づけるには意味があるのではないかと言ったインドネシア人もいたが、それは歴史的な建物での開会式と閉会式、エクスカーション・ツアー(チャンディ・スクー寺院)だけで十分だ。それより私には、トイレが汚かったとか、ホテルから劇場の移動中に見える町の様子がゴミゴミしていて都市化が遅れているとか、劇場側のホスピタリティーが足りないとかの方が、むしろ外国人の印象に残るだろうと思っている。実を言うと、こういう点は、能をソロで紹介したときに能楽師さんたちの反応から私自身も気づいたことだ。高級ホテル以外の場で国際的なイベントをするのには、こんなリスクもあるのだ。

さらに気になったのが、ソロのマスコミの反応である。全国紙コンパスは別として、地元有力紙のソロポスなど、見出しにもIPAMという語がなく、記事にもIPAMの概要や全出演団体の名などが掲載されていない。公演の翌々日にある特定の公演の評が出ても、それがIPAMという枠で催されたことがほとんど分からない記事になっている。しかもIPAM出演団体ではなくアトラクションの方が写真つきで取り上げられていることもあった。これは地元紙の記者のレベルが低いこともあるだろうが、IPAMの趣旨が地元の事務局やマスコミに周知徹底されていなかったのではなかろうかという感もぬぐえない。

その結果、IPAMを見ていた観客の多くは、IPAMを単に芸大で行われている芸術イベントの1つとしてしか認識していなかったように見える。もっとも、出演者の半数がソロのグループだったことや、国内外からのプレゼンターがほとんどいなかったことは大きく影響しているだろう。そういう私も、会場はなじみの芸大だし、芸術見本市を見ているという実感があまり持てなかった。

という風に書いてきたけれど、それぞれの公演の内容自体が不満だったわけではない。メンバーをよく知っているソロの各団体の作品も、ソロではなかなか見られない地域の作品もそれぞれに力作で見ごたえがあった。だからこそ余計に、プレゼンターが少なかったこと、マネジメントの出来がよくなかったことが残念だなあと思うのだ。