しもた屋之噺(67)

杉山洋一

最近、目先のことばかり片付けていて、頭のなかに溜まってゆく記憶とか、思考とか、そういうものを全く整理しないまま、ひたすら物置にただ放り込み続けているような、薄いフラストレーションを感じます。何かに反応し知覚した感情の襞は、改めて自分の言葉で検証したり、意味を問い質したりして、ようやく身体の奥にしっくりと馴染むような気がする。出会ったひとの表情や、演奏のしぐさ、まなざしや呼吸、そんなものを、どこかにうっちゃって無感覚に過ごしているような、自らに対しての苛立ちのようなもの。こうして書きとめようとしても、触覚的な感覚を思い出せなかったりするのももどかしいのです。

3回ほどレッジョ・エミリアのアンサンブルとリハーサルをして本番をやってきました。もう何年も前からご一緒しているのですが、いつも20人前後の大所帯の仕事ばかりで、今回初めて5人というきわめてシンプルな形でお付き合いさせていただいき、とても楽しかったのです。やっぱり、お互い聴きあうことを中心に練習できるからかも知れません。大編成でも、オーケストラでも同じはずですが、なかなかそうは行かないのは自分の力不足、経験不足なのでしょう。彼らと秋にサーニの新作オペラでご一緒するときは、例によって大所帯ですから、その前に密に仕事が出来たことは幸運でした。

数日前このオペラ譜のゲラが届きました。マフィアの撲滅に身を捧げたジョヴァンニ・ファルコーネが主人公で、彼がパレルモの空港から高速道路で爆破させられる直前、最後の飛行機に乗っているところが舞台で、登場人物もマフィアと警察なので男性ばかりで合唱も男声。

もっとマフィアのことを勉強して、オペラの楽譜を読まなければと思いながら、あるとき、指揮クラスのシチリア人の生徒に、突然だけどマフィアというのは身近な存在なのかね、例の「沈黙の掟(組員はもちろん、たとえ公衆の面前で殺人があっても、誰もそのことを証言しないこと)」は本当かと訊ねると、あっさり認めてくれました。

そりゃマフィアはいますよ。でも組員以外には係わらない話ですからね。ときどき抗争の巻添えになったりするけれど、あれは例外。幼馴染にもマフィアの家の子がいて、よく仲良く遊びましたよ。頭も良かった。でもそいつ可哀想に18歳で殺られちゃいました。

「沈黙の掟」ね、あくまでもシチリア人は独特ですから。何しろイタリアで一番古く、12世紀に既にしっかりとした政府が出来た地方なのに、その後ひたすら侵略され続けてきましたから、みな排他的で不信感の塊なんです。自分の身は自分で守るし、誰も助けてくれないと思っている。

排他的といえば、イタリア人一般にそういう傾向は否めない気もします。先日もミラノのアンサンブルがヴァイオリン奏者を換えることになり、何人かとリハーサルをして、その中にはジュリアード出身の上手な韓国人もいました。彼女は国際的に現代音楽畑で活躍しているから当然選ばれると思っていると、アンサンブルは彼女よりずっと若く経験も少ないイタリア人を選びました。演奏スタイルが違うのと、フィーリングの問題がその理由でした。

先月息子を知合いの4歳児の誕生日会に連れていったとき、周りはもう幼稚園に通う元気溢れる4、5歳児ばかりで、言葉もままならない2歳児が相手にされるわけもないのですが、4人ほどの腕白に囲まれて、「お前何もしゃべれないのか。おいこのチビ中国人」に始まり、しまいには息子の尻の辺りにゴム風船を膨らませ、からかわれました。周りに親たちもいるのですが、関心もないのか咎めもせず談笑するのに憤慨しつつ、これも経験と諦め傍観を決め込みました。

先日久しぶりに滞在許可更新のために警察署にゆくと、道路に溢れんばかりの外人を虫けらのように蹴散らしながら、警官が「お前ら外人だからって言葉がわかんなくても、つんぼじゃなかろうに! あっちゆけよ」と声高に罵りました。でも、こういう経験はしないよりした方が良いと思うのです。毎日これでは堪りませんが、年に一度か二度こういう風に思い知らされるのとそうでないのとでは、世界観も変わりますし、日本に滞在する外国人の苦労を垣間見る気がします。大変な思いをして日本に滞在しながら、日本人の嫌がる職業について社会を支える、大切な人たちを思うからです。

もっとも、そんなネガティブなことばかりではありません。先日、友人二人が結婚して、イタリアで初めて結婚式に出席しました。イタリアに住んだ当初友人は既婚者ばかりでしたが、自分の生徒や、若い演奏家の友人も増えてきて、こうして初めて結婚式の経験と相成ったのです。お祝いは、元来この辺りの風習によれば、カップルが指定の店を予め招待客に伝えて、招待客はその店に出向きカップルが必要としている日用品、家具のリストから、好きなものを選んで贈るそうですが、彼らは何も用意しなかったので、友人通し値段を決め、150ユーロ包んでわたしました。

といっても、日本のようにいつ渡すか決まっているのでもなくて、結婚のミサが終わり、教会から出てきた花嫁、花婿に親戚がお米を投げる傍ら、続いて始まる葬式の準備をする坊さんを横目に(教会の扉に、葬式用のビロードの装飾をつける)、「ハイこれね」、とさっと渡す按配で、日本のフォーマルな雰囲気とはずいぶん違います。

結婚のミサも初めてでしたが、式目はほとんど変わらず、親族のお祝いやら、神父の説教指輪交換が挿入されるくらい。1時間弱でミサが終わって、皆揃ってレストランに移動して、14時から19時過ぎ(これでも途中で引揚げさせてもらった)まで何をしていたかと言うと、これがひたすらご飯を食べるのです。日本の披露宴と違いアトラクションがあるわけでもなく、誰か友人の言葉を言うのでもなく、ダラダラとものすごい量のご飯を、ひたすら時間かけてたっぷり食べる。

ご飯も美味しかったので当初は喜んでおりましたが、2時間も経てば全体に座も白け、子供たちは駆けずり回りはじめ、四方山話に花が咲くわけもなく、どのテーブルも間延びした雰囲気のなか、花嫁花婿も気晴らしに外に散歩に出かけてしまい、手持ち無沙汰で傍にやってきた双方の父親に「どうです先生、良い結婚式でしたね。披露宴もなかなかでしょう。楽しんでいらっしゃいますか」、などと声をかけられ、「イタリアの結婚式は初めてで、こういうものかと咀嚼しているところです」と頓珍漢なやりとりの挙句、ベルルスコーニ贔屓の花婿の父親から、「先生、現代音楽はですな、どうか、凡人にもわかるようにやっていただきたい」と懇々と諭されてしまいました。日本の披露宴で、新郎の父親から現代音楽を諌められることはないでしょうから、愉快なものです。

ただ、教会でのミサの途中、指輪を交換し教会の台帳に互いに記帳した後、神父が、「これであなた方は神と契約を交わし、今、神の国で永遠の愛を誓ったのです」と言うのを聞いて、急に彼らが見えない敷居を越え、あちら側に行ってしまった気がしました。未だ離婚も堕胎も避妊すら許されず、同性愛も受け入れられず、医療研究用の受精卵も認められない、燦然たるカトリックの世界です。「あなた方は音楽家で、音楽を通じて神と交信している。常に神を身近に感じる存在なのです」と説教され、胸の奥で疼くものがありました。違う土壌に育ってきたこと痛感して、寂しさがふと過ぎったのも嘘ではありません。

(6月29日ミラノにて)