グロッソラリー―ない ので ある―(32)

明智尚希

「1月1日:

(略)

なぜ (?_?) なぜ

 歴史上、幾千万以上の人間が死んできた。死後、彼らは何のメッセージも寄こしてこない。死後の世界があまりに素晴らしく、この世は無視に値するほど取るに足りないのか、業火に包まれ苦しくてメッセージどころではないのか、あるいは完全なる無となってこの世との縁が断絶したのか。人間は死そのものより死後に興味があるというのに。

【( ̄_ ̄)v】遺影

 薬味の効いた寸鉄で人を刺す。ふたつながらの勧進元は角をはやした。画がないのではない。師がいないのだ。岩佐又兵衛に菱川師宣。若き人類が見た夢。堕ちよ、生きよ。正弦波の遺伝的アルゴリズムの自己組織化現象は実はやおいという顛末。鉛の羽根、輝く煙、冷たい火、病める健康。今後は仮想的になんなんとす。心理的紐帯をちぎって。

( `ハ´) ワガハイガ師ダ

 とはいえ、鼻が詰まっていない人も楽観できない。常に鼻の通りはいいかもしれないが、ふと気づけばさらさらの鼻水が上唇を濡らしていることもある。いや、さらさらとはいかないまでも、ねっとりとした鼻水が鼻の下で何時間も落ち着いていることだってある。さらさらもねっとりも鼻水には変わりない。ちり紙でそっと拭き取ればよい。

σ( ̄ii ̄;) ダラー

 文化は精神、文明は物質だという。しかし文化のいかなる明察があれども、それとは無関係に文明はオートマチックに進む。文化の衰退はあっても文明の後退はない。二極分解しえるものが常に一対として語られる。現代は文明が優勢の時代である。そういう時代精神なのである。文化が副次的分際に甘んじている時、歴史的転換が起こりやすい。

ブンメイカイカノ <(个_个。) オトガスル

 1月1日:次郎おじさんは、僕の大好きなおじさんである。ただ無駄話で長広舌を奮う点に難がある。話が面白ければいいのだが、単なるだべりに堕している。それはともかく、次郎おじさんは永遠にこの本を読み続けることになるとかならないとか。僕のほうはといえば、慎重に慎重を重ねて考慮した結果、産まれてくるのをやめることにした。

(; ̄Д ̄)なんじゃと?

 いい歳をしておきながら、自分の発言内容の誤りを認めない人間がいる。誤りを認めないどころか、さも正論であるかのように主張し、相手のほうに非があると責める始末。この種の輩でも人間と呼ぶのだろうか。低劣で性格がひねており頑固、おまけに学がなく脳髄もいささか弱い。この手合いを愛せるか否か、博愛主義者の度量の見せどころだ。

(#゚,_ゝ゚) バカジャナイノ?

 「Cool Head but Warm Heart」。ケインズが師事したマーシャルの有名な言葉だ。聖者とされる人以外には当てはまらないのではあるまいか。先哲の言葉とは概ねそうである。この格言も事後に思い出す類いのものだろう。ケインズの信念のほうがぴんとくる。「It is much important how to be rather than how to do」。弟子がやや優勢か。

パチッ☆-(^ー’*)bナルホド

「ん? 右か。いや、左だ。まっすぐ? いや、やっぱり左で大丈夫だ。いや、駄目だ。右だ。え、左? それなら右だな。またまっすぐかよ。どこにするかちゃんとしてくれよ。もう右だ右。ああまた左だ。そこで右に来るかなあ。なんでそうなっちゃうかなあったく。ああもうすぐだ。左。右。まっすぐ。左。左。まっすぐ。うわっ」ガシャン。

自転車o孕o〜キコキコ

 全知全能の神は、何すべくしてこの世に生物を作ったのだろうか。太陽系における実験か。地球における推移の点検か。あるいは単なる観賞用か。そもそも全知全能なのだから、前二者は必要ないと考えると最後の一つということになる。だが、ペットたる人間・動植物の動向や一生も知り抜いているはずである。気まぐれにしては趣味が悪い。

~~\(゚-゚*)バサッ(*゚-゚)/~~ バサッ(-人-)

 しどくうどくの 婆さりめっけ
うんどく丸だら しゃほろいよ
めれべかんでれ なあ気をさるを
待ちらちてべて しんがるさよろ
なぶてぶっちゃり 刈りしゃぶよ

〈( ^.^)ノ ホイサッサ

 わしは犬になりたい。いつも上機嫌そうで、散歩している時なんかは尻尾をふりふりして実に愛らしくて健やかじゃ。見た目もそうなら、中身も充実しているのじゃろう。難しいことは考えずに食事を楽しみに待っとる。もし飼い主が夜逃げでもして、ただ一匹残されようもんなら死活問題じゃ。誰じゃ! 犬になりたいなどとほざいてるのは!

オテ(*゚▽゚)o”ヘU。・ェ・。U

 この国には四季があるという。そうだろうか? あるのは夏と冬だけのように思う。
春と秋はほんのおまけ。特に春はものの二週間もあれば長いほうで、冬日の翌日がいきなり夏日だったりする。秋も似たようなものだ。残暑が終わったかどうかのうちに寒くなる。秋はどこだ。この国の人は、意地でも四季に分けないと気が済まないらしい。

扇風機→”(((卍)))”o( ̄△ ̄o)ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛〜〜

 長生きは良いこととされている。誰もが長生きしたいと願っているとされている。いずれも死があるからこその表現である。人間は消耗品だから不老は免れまい。だがもし不死が実現したら恐ろしい。衰弱困憊の姿を超越しながら永遠に生き続ける。もはや生き物の埒外の姿形で横たわっている。我々は死があることに感謝しなければならない。

゚ヽ(*´∀)ノ゚.:。+゚ァリガトゥ

 やる気のある人間ほど使えない人材はない。

(´・∀・`) ヘェー

 困った時の神頼み。日常、神も仏もない生活を送っていながら、困窮状態に陥って弱りきっている時にだけ、手と手を握り合わせてひざまずき、にわかごしらえの教徒となる。硬直して祈る姿はまがまがしい人形でしかない。信仰心の薄いというより全くない上に弱り果てた人間の祈りなど、ひいき目に見てもとても宛先にまで届くとは思えない。

(;人;) オネガイシマス