1月1日:「三郎おじさんはな、ああ見えて酒がほとんど飲めないんだよ。知らなかったろ? 酒
好きみたいな顔して、ビール一杯でぐったり。そのくせ『俺と飲んだら大変なことになるぜ』なんて言いやがる。大変なことになるのは、自分自身なのにな。は
はは。二三年前の正月なんて大変だったんだよ。今でも語り草。見てないか?――」。
チサネッリのヨーロッパ中世二階建て風。グッサーネとネッサーグのコンペラチャンテあえ。トケチのアンデパンダン蒸し。肉。三十五歳独身プログラマーの
築10年アパートの内見後。甲州街道に差し掛かった辺りで右折と左折を間違えてしまったあとの気まずい車内の空気をまぎらわす一方通行逃れ。わしのお手製
の晩飯のほんの一部じゃ。
文句ばかり言う人は、楽な人生を送ってきたのだろう。自力では何一つやろうとせず、やる能力もなく、コネとカネにものをいわせる。幼い頃から判断基準や
価値基準の真ん中にいて、大人へのとばくちの門を跨いで渡る。孤独な熟慮を知らず、アホーダンスに気軽に従う。時には軌道修正という名の抗議をし、「有意
義」な一生を送る人間。
シーシュポスの神話の石をレバレッジでVトップからネックラインへ転げ落とさせたのはわしだけじゃろ。しかもダブルトップときた。次は三尊天井じゃな。
ぎくしゃく登るから単純移動平行線ではない。じゃが登り一辺倒じゃからトレンドは読みやすい。力はフィボナッチ数列的に増加する。腰にゃボリンジャーバン
ドを巻いてるっての。
1月1日:「まだその時は三郎が下戸だなんて誰も知らなかったもんだから、ビールやら日本酒やら焼酎やら、どんどん飲ませた。そしたらどんどん顔が青く
なっていった。飲ませた側も異変にばたばたしだして、やれ吐かせろだのやれ救急車だの、そりゃあもう大騒ぎだ。肝心の三郎はといえば、しばらくは壁にもた
れてじっと座ってた――」。
プロザック、パキシル、ジェイゾロフト、デプロメール、アビリット、トレドミン、トフラニール、トリプタノール、ルジオミール、セルシン、デパス、メイ
ラックス、ソラナックス、レキソタン、アモキサン、タンドステロン、ジプレキサ、コントミン、リスパダール、エピリファイ、リボトリール、シアナマイド、
マイスリー、アモバンテス。――僕らはみんな生きている。
しかしなんで飲んじまうかなあ。酒は飲んでも飲まれるな、か。いいこと言うね、先人は。わしにとって先人とは、おやじしかいない。おやじも言われてたな
あ。酒は飲んでも飲まれるな、とな。おやじにとって先人とは、わしのじいさんしかいない。じいさんも言われてたなあ。酒は飲んでも飲まれるな、とな。じい
さんにとって先人……。
異性に恋心や愛情を抱くというが、いったいどういうことなのか。人間は細胞が集まってできている。心と呼ばれる脳も、異性を魅了する容姿も、ちっぽけなも
のの集合体でしかない。しかも新陳代謝を繰り返す集合体。有機的な機械に思いを寄せるとは摩訶不思議な話である。同時にこれは失恋の理屈っぽくて安っぽい
言い訳にもなる。
ピグマリオン対ガングリオン。見えないミツバチが頭の周りをぐるぐるするから、条件反射的によけるはめになる。あぐらをかいたまんまラジコンで浮遊でき
る日はいつになるのだろう。灰汁を取ってないナスとホウレンソウを食べるとせきが出る。でもオリオン座だけは脅迫的に毎日確認している。わしはいったい何
と戦っているのじゃろうか。
失業して、何もせず、のんびり暮らし、疲れて、自殺する。
1月1日:「そのままでいるのかと思ったら、急に『オロロロロロロロ』と滝のように吐きだした。そこら中は大変なことになってたけど、全部戻してリセッ
トすれば、またしらふになると楽観視してたから、吐くに任せてた節はある。まあ戻している最中に止めることなんかできやしないけどな。で、三郎のやつ、急
に吐くのをやめた――」。
だったら素っ裸のまたぐらに華やか過ぎるフルーツポンチを置いて、ちょいとメルヘンを気取った蛇行運転をしたり、まあるいけどぐにゃぐにゃだったりと
か。直立不動で最後っ屁ってのもあるぞ。だから他人の作ったおにぎりは食べられない。怒るんじゃないない! なんたって原宿だよ確かこっちゃあ。正座して
丁寧に畳んだ清潔な下心。
地球環境を破壊し、生態系を脅かすだけでは満足できないらしい。好奇心や科学の成果という名のもとに、必ず役に立つと言い切れるかどうか不明な一物を宇
宙に向けて放り投げている。今では宇宙空間はスペース・デブリが蔓延しているという。六畳間に掃除機をかけぞうきんで畳を拭く。わしはそういう性質を持つ
国から来た。
1月1日:「そこからの三郎はすごかった。戻すのをぴたっとやめて、急に真顔になって垂直にぴーんと立ち上がったかと思いきや、あ、その前に、三郎おじ
さんは親戚の間じゃあ生真面目一辺倒で知られてたんだ。俺の弟とは思えないくらいにな。言葉づかいや態度もきっちりしていて、まあいわゆる堅物に近いとこ
ろがあったなあ――」。
まあなんというか、犯罪をおかしたあとは善行のあとに似てるな。誰でもない人よ、一つ覚えておくがいい。猫は必ずしもニャーとは鳴かないということを。
事実は生もの。時間は腐敗促進剤じゃな。マタドールがひらりとやれば、そこには何もない。沈み彫りがやがて平文になって、最後はつるつるになるだけ。あ
あ、ご都合主義の現実様よ。
人はすれ違う時、相手の顔を見る。どういう魂胆からなのか見当がつかない。何かを確かめたいのか、単なる興味本位からなのか。アリはすれ違う際に頭同士
をコツンとやる。それに似たようなものだとしても、アリに聞いてみなければわからない。共依存関係にあるとはいえ、あの目つきは敵や異分子を探していると
しか思えない。
長年この世に存在してきたわしじゃが、思い出すことは、全てを仕損じたこと、女性が女性でなくなったこと、この世にいるという以外に人間と共通項がなく
なったこと、人生の入口からして暗澹としていたことじゃ。お花畑なぞ想像だにできない。たとえ脳のレベルにおいても。前世での後悔が遅まきにやってきたと
いうことか。
どうでもいいことにも一理ある。そうしたくだらぬ局面に立たされ、打開するに値する程度の生活しか送っていないということを意味する。視覚の情報はコン
テクストに乏しい。満場一致のエートスは、たとえそれがエートスだとしても民主主義では説明がつかない。多数決原理のお偉いさんも、公衆の面前でのおもら
しくらいは体験しなければ。