1月1日:ここで小学一年生当時の話をさせて頂く。簡単に言えば、勉強も運動もよくできる児童
だった。友達も多く、確たる不満などなかった。ある日、みんなと公園で遊んでいる時、笑わせようとして滑り台から落ちてみた。しかも頭からだ。真冬のこと
とて、セーターがすぐ冷たくなった。そう、僕は大量に出血していたのだった。
ああ儲けてえなあ。カネ、金銀財宝、豪邸、うわあもういいや。いらね。百万年の貧乏で百万一年目に億万長者じゃと? 姦通と関係あるのかい。え? カネ
は天下の回りもの、小銭は下人の回りもの、おつりはお店の回し者ってか。努力努力ってうるさいんだよ。貧乏人の活路が努力でなけりゃならないなんて、どこ
の馬の骨かわからんぞ。
不眠の原因は眠ろうとする努力にある。昔の評論家がそう評した。あきらめの先に未来が拓ける、と言った人もいる。不眠の最中ほど時間を呪う時はない。そ
の時間には意味の一つもなく、ただべったりと垂れ流れている。普段下らぬことに時間を空費している人間への復讐。不眠症に懐疑主義者や不安神経症が多いの
はそうした背景がある。
しかしなんで飲んじまうかなあ。酒は飲んでも飲まれるな、か。いいこと言うね、先人は。わしにとって先人とは、おやじしかいない。おやじも言われてたな
あ。酒は飲んでも飲まれるな、とな。おやじにとって先人とは、わしのじいさんしかいない。じいさんも言われてたなあ。酒は飲んでも飲まれるな、とな。じい
さんにとって先人……。
当て推量で言えば、未来派に信を置くのは正しくない。ノッチドラペルのシティ・スリッカーの経験則は、ゴム製の洗濯板に土下座して呉服売り場へ逃げ込む
ようなもんじゃて。箱の中のジャックもおったまげる寸法だわな。水兵がわしの船を愛していることくらい知っておる。じゃが間違いに気づくかな。気づかねえ
だろうな。
1月1日:人間、出血多量になるとどうなるか知っている人は少ないと思う。僕の場合、後頭部やや右上を十二針縫ったのだが、出血当初はセーターが冷たく
なる以外のことは感じなかった。問題はここから。急に震顫が全身を特に手足の末端部を襲った。その様子を見たみんなは、僕よりも遥かに恐がって全員その場
に立ち尽くしていた。
天ぷら。
リスパダールによる多幸感に優しく包まれて、わしはいつだってレッセフェールを歓迎する。パンツの中身も優しく包まれておるが、こちらは教育的指導にぬ
かりはない。基本は独立独歩。矛盾しているから人間でいられるんじゃないか。どんなサンクションもくしゃみの前では破れるように。ま、それもこれもタイム
サービス次第ではあるがな。
先日、色紙に「牛」と揮毫した。その前は「麺」。本音では「砂」。そりゃともかく、シャクトリムシがビオラの弦をしゃくったら、鳴るのかどうかで眠れな
いという夢を見たのはいつのことか。いつもわしは沈黙しておる。新種だからなにもわからん。ヴィトゲンシュタインの境地じゃよ。睾丸をふるって応募した挙
げ句、たまたま当選したまで。
無知の独立性。社会のあるいはごく身近なコミュニティの動向を知らずにいるのは幸運である。俗事にかまけて時間の使い道を誤るよりは、鉄砲玉を決め込ん
で孤立するのが賢明だ。無知と純粋は表裏一体。俗世間で経験を重ねるよりも、超然として最低限の栄養を採っていればそれでいい。その代わり、栄養は人類規
模でなければならない。
1月1日:人間、慌てると走るものだ。僕も俊足を飛ばして帰宅し母親に怪我のことを告げると、新聞に目を落としたまま一言「赤チンつけなさい」。白い
セーターが赤黒く染まっているほどひどいのにである。赤チンをつけ始めてやっと母親も傷口を見た。二言目「救急車を呼ばなきゃ」。そうしてなぜか電話帳を
大至急めくりだした。
わしの人生は失敗だった。じゃが失敗することに成功したことは誰も知らない。はじめから磊落などない。失敗失敗雨失敗。であるからして一編の自伝をもの
す権利と資格があるというもんじゃ。ゴスプランを実践してきたからには暗い面相が必要じゃった。鼻歌には鎮魂歌ンコン。放屁のフーガのおかげで、かろうじ
て先が黄色く彩られた。
朝の電車に乗っていた。ラッシュ時である。突然、吊り革につかまっていた会社員が棒のように後ろへ倒れた。車掌が声をかけても応じず呼吸も覚束ない。
と、目を開け上半身を起こして、「会社に行かなきゃならないんだよ!」人生を台無しにされたように泣きながら繰り返し叫んだ。そして何事もなかったかのよ
うに新宿で降りていった。
だんじさけれんほ 誰しとな
四ちさけれんめ 誰しとせ
らっさりくんだり 意もれけけ
じんからごぼ付き あんちごな
振ったきれめそ ややありゃそ
退屈なあまりに退屈な状況は、火の輪くぐりも可能にする。勇気の根源を支えているのはブルックス・ブラザーズではなく、弾けんばかりの無聊である。穴を
掘っちゃ埋めている御仁は、Y字バランスさえもままならず、HBのちびた鉛筆でOLをABの線分にする。割り切れなければ、永劫回帰しながら一人じゃんけ
んに徹すべし。
1月1日:救急車は出払っていたため、タクシーで最寄りの総合病院へ母親と二人で行った。運転手のどこかのどかな人柄は今でも忘れられない。到着後、傷
口を縫うなどくさぐさのことがあった末に、僕は頭にネットを被ることになった。鏡で見たら、阿呆の代表選手のような見てくれで愕然とした。二週間後に抜糸
をして治療は終わった。
わしはあんたになれるが、わしはわしにはなれない。そういうもんじゃ。なんか腹立つ。いっぺん突き抜けてみろ。突き抜けてきたわい。眠っている自分を見
られないのとたぶんおんなじ。不幸な子供と幸福な王子。ニュートンともあろう人間が、リンゴが落ちることくらい知ってたっての。わしの趣味・特技は時間で
決まる。
失望は常に正しい。それまで有効だった知識や経験が根こそぎ落とされ、生まれた当時の心境なき心境のような純粋持続となる。したがって失意に暮れている
人間には、世間のグレーゾーンや他人の心の暗黒を、書き起こせるほどに見透かすことができる。立ち直るべきではない。失望の上塗りや補強をしたところで、
嫌悪が跋扈するのみ。
働いている限り豊かにはなれん。アキレスは亀を追い抜けない。生きている限り死なない。転がって大笑いしている間は偉い人になれない。毎日エサをやって
いるうちは野良猫は去らない。ボジョレヌーボーの解禁を待ち焦がれているようじゃ、金ピカの有閑マダムにはなれん。片手だけでは拍手はできない。食べてい
る時にしゃべるな。
ほしいのはあなただけ。他にナニもいらない。
精子と卵子が結合し、つまり受精し、この世に出てくること自体が立派な奇跡なのだから、一人ひとりは特別な存在である。という話を何度かされた。全員が
特別ということは、全員がどうでもいいということにもなる。オンリーワン且つナンバーワンこそが特別な存在として評価の対象となる。人間の自己礼讃にはほ
とほとうんざりする。
小便を我慢できる時間の長さは、その日それまで歩いた距離に比例する。こんなことをメモ帳に書いたんじゃが、とんと要領を得ない。そこらへんの人に尋ね
てみたら豪快な平手打ちを食らってシューメーカーレビー彗星を見た。スリーピースでレゾンデートルの着色を試みたが、そこが便所だという鬼は外でそもそも
レッドカードじゃったっけ。