実家からもどる際、祖母のみね子が所有していた本をいくつかもらってきた。
明治・大正期の作家の初版本を昭和中期に復刻したもので、そこそこ貴重なものなのかもしれない。神保町の古本屋街でも同じものをたまに見かけることがあったが、そのたびに実家の畳部屋の隅に置いてある、みね子の古びた書棚が頭に浮かぶので、もはや私の脳内では“みね子の本”という位置づけでしかなかった。
実家整理中のいま、飾りのように並んでいるその本たちをなんとなく放っておけず、勢いで東京行きの段ボールに仕舞ったのだった。
東京の自宅アパートに戻り、段ボールからみね子の本を取り出す。
本はどれも二重函仕様で、本体はグラシン紙に包まれていた。グラシン紙はとても繊細ですぐに破けてしまう。でもこの薄くて脆い紙のおかげで、色褪せることなく良い状態に保たれているのだ。触るたびにぱりぱり鳴る乾いた音は嫌いじゃない。
慎重にグラシン紙をはずすと、表紙はずいぶん派手な朱色だった。ページも小口もヤケどころか汚れもなく、真っ白と言っていいほど綺麗で、自分が生まれたときにはすでにあった本であるのに、もしかするとほとんど読まれていなかったのかもしれない。汚してしまわないように、丁寧に扱わなければと再び慎重に函に戻すが、一冊一冊確認するたび、どうしても読み始めてしまう。
部屋いっぱいに雨の気配がたちこめる深夜2時、名だたる作家たちの文章に、さっそくページをめくる手がとまらない。