広辞苑を買った。3月末にいきなりテレワークが申し渡されて数日後、ひと月くらいで終わる感じではないし図書館も閉まったし、うちには広辞苑がないのでなんだか急に心細くなり、せっかくだから近くの本屋で買おうと出かけたら閉まっていて、悔しいけどネットで買った。翌々日、配送屋さんがピンポンを鳴らして「重たいものです」と届けてくれた。ここ最近はお互いのために「ボックス置きでお願いしまーす」と言うわけだけれども、生ものです、とか、大きいものです、とか、言ってくれるのだ。いつもありがとうございます。
前にあった広辞苑はその昔、高津駅前の新刊書店横の小道を入ってラーメン屋の隣の古本屋で函なしカバーなしを買ったのだったが、まだ営業しておられるだろうか。2年前に郷土史家の鈴木穆(あつし)さんを高津に訪ねたとき、落馬打撲とか腎盂腎炎とか急性難聴とかで何度もお世話になった病院が駅前をすっかり飲み込んでいてびっくりした。駅前の府中街道を右に数分、大山街道の交差点にあった名物店(骨董屋というかガラクタ屋というか目の前を通るバスやダンプぎりぎりに掲げるディスプレイと裸電球が絶妙)もなくなっていた。この店のことは写真家の鬼海弘雄さんが『東京夢譚』の「第13話 アルミの急須と愛の証」に書いている。しかしちょっと離れると以前のままの家並みもあって、当時の私は鈴木さんをはじめ近隣のひとと親しくしていたわけでもないのに、思い出すままに話すうちにこの町に懐かしく迎えられたような気になるのはいい気なものだ。鈴木さんが「タウンニュース」高津区版の創刊(1996.5.23)から22年9か月、1085回連載した「高津物語」は、『高津物語(上・中・下)』としてまとまっている。
さてその広辞苑は数年前の引越しで処分していた。第七版が出た2018年には自宅で紙の辞書を引くことはなくなっていたので買っていない。充電さえできているスマホがあれば、いつでもどこでも誰かと話をしているときですら、なんでもだいたい調べて分かった気になれる夢のような暮らしだ。しかし分からないことがあまりにもさっと分かるのから、そもそもその程度の分かる・分からないはどうでもいいんじゃないかとか、分かる・分からないにたいした違いはないんじゃないかとか、調べてるつもりが調べられてるだけだよって検索のむなしさにフッと気が遠くなる。それはたぶん、答えが一瞬で目の前に出るという登場のしかたにも問題がある。パッとあらわれるということはパッと消えるということで、実際なにもかもほとんどパッと消えている。
辞書で引いたところでパッと消えるのは経験的に分かっている。だけど、辞書は引くもの、調べるものというよりは読むものだなと今は実感できていて、だからそれはパッと消えてもいいんじゃない、とも思える。いまだ広辞苑に「新村出編」とある理由を聞かれた岩波書店辞典編集部の平木靖成さんは、〈国語辞典でありながら百科事典も兼ねて一冊本を作るというコンセプトからずれたら『広辞苑』とは言えないので、そのベースを新村先生が作ったという記念として将来もはずせないものだと思います〉(ブクログ通信 2017.11.30)と言っていた。姉に初めて辞書の使い方を教わった日を思い出す。姉の赤い国語辞典を借りて何か言葉を引いたのだけれど、説明に書いてあることがまた分からないのであった。すると姉が「それをまた辞書で引くんだよ」と言う。あっちをめくりこっちをめくりすればいつか分からないことがなくなるということだった。すごいと思った。ただし、それは辞書ではなくて教えてくれた姉がすごいと思ったというのがかわいいところ。しかしあの異様な驚きがこのタイミングで蘇ったのは意味があるかもしれない。
広辞苑のつくりをじっくり見てみる。外函にうっすら浮かび上がるのはオーロラの写真か。辞書本体と付録の冊子も入ったこの函ごと全部で3.3kg。本体の厚みは8cmある。表紙カバーの紙はごく淡いクリーム色で、全体にマットな黒を引いて文字と岩波書店の種まく人のマークを紙色に抜いてある。表紙のクロスは、はなだ色と言っていいのかな。背に銀箔でタイトルなど。そして、実は今回初めて気付いたことがある。背に、安井曾太郎による白鷺に葦とさざなみ(かな?)の絵柄が浮き出ているのだ。背の凸凹には気付いていたけど、使い古してノリが浮いた跡とばかり思って気にしてじっくり見たことがなかった。見返しは灰色。扉は、表紙カバーの紙色に近い淡いクリーム色で、見返しの紙に近い灰色と錆色の2色で枯れ木立ち風の絵とタイトルがある。
本文紙は扉に比べると少し赤みがある。刊行時に特に話題になった「ぬめり感」を確かめてみる。自分の指と紙の関係のぬめぬめもさることながら、この薄い紙どうしの関係におけるぬめぬめがすごいと感じる。実は今、いっときのトイレットペーパー不足により紙問屋の店頭でようやく買った一枚仕立てでかたく巻いてあるタイプを使っていて、なかなか気に入っているのだけれど残り8分の1くらいになると巻きがうまくはがれてこなくなるのだ。トイレットペーパーよりずいぶん薄い広辞苑専用の本文紙も抄紙後は巨大トイレットペーパー状になっていたわけで、ひとロールどれだけの重さになるのか、それがみなすっとむけるとはなんてすごいことだろうと、思うのであった。
広辞苑の本文紙が特注品である理由も刊行時に話題になった。製本の機械が厚み8cmまでしかできないので、より多くの項目を入れるためには紙を薄くするしかない。開発に5年。結果、第六版から1万項目追加で140ページ増えても厚みは8cmにおさまった。第七版の140ページで5mm弱あるから、そうとう薄くなったと考えていい。薄いと透けるが、それではまずい。不透明度を高めるために「酸化チタンがまぶされた」という表現を当時のニュースで読んだ。開発した王子エフテックスのサイトを見ると、不透明度を保つポイントの一つは〈紙の中に填料を留める技術〉。流れ出ないように定着するということだ。それと、通常は抄紙の際に上から下の一方向に脱水するのを両側から行うなどして、鉱物である填料が偏らないようにするそうだ。版元がこだわるぬめり感(静電気で指にまとわりついたり、次のページが一緒にめくれたりせず、快適にページをめくっていける絶妙な触感)は、特別なコーティング材のたまものらしい。
5月25日は1955年の初版の発売日で、「広辞苑の日」として毎年誕生日を祝っているそうだ。昨年、DNPプラザ(DNP=大日本印刷株式会社。初版から秀英体で広辞苑を印刷)で開かれた「広辞苑大学」では、初版1冊分の清刷(組版を印刷したものを撮影して5分の3に縮小したものを製版としてオフセット印刷。片面印刷なので5冊に分けてある)や、コピー用紙で作った「広辞苑のコピー本」を展示したり、刷り出しで缶バッジを作ったりしたようだ。今年は静かに誕生日を迎えたのかな。遅ればせながら、7度の全身改造を経た65歳に羨みと敬意を表しつつ、第七版に記された装丁に関わる表記のいくつかをここに抜き書きしてみます。
『広辞苑 第七版』岩波書店
扉裏)
装幀 安井曾太郎
p1618)
せいほん【製本】原稿・画稿・印刷物・白紙などを糸・針金・接着剤などで綴じて表紙をつけ、小冊子・書籍などに形づくること。和装本(和綴じ)・洋装本(洋綴じ)に大別→装丁(図)
p1695)
そうてい【装丁・装釘・装幀】(本来は、装(よそお)い訂(さだ)める意の「装訂」が正しい用字。「幀」は字音タウで掛物の意)書物を綴じて表紙などをつけること。また、製本の仕上装飾すなわち表紙・見返し・扉・カバーなどの体裁から製本材料の選択までを含めて、書物の形式面の調和美をつくり上げる技術。また、その意匠。装本。
*付されたイラスト〔装丁〕には「角革・平(ひら)・角・地(罫下)・ちり・しおり・耳・背・溝・平の出・みきり・天・小口・扉・花ぎれ・のど・見返し・カバー・帯紙・遊び紙・見返しの遊び」が記される。
p1699)
そうほん【装本】本の表装。装丁。
ぞうほん【造本】書物の印刷・製本・装丁、また、用紙・材料などの製作技術面に関する設計とその作業。
p2569)
ブック【book】(略)―・デザイン【~ design】本の、装丁から本文の書体まで全般にわたるデザイン。(略)
p3185)
後記
(略)
装丁は初版以来、安井曾太郎氏の手になるものである。外函の写真はInmagine123RF株式会社のお世話になった。(略)
大日本印刷およびDNPメディア・アートの方々にはコンピューターを駆使した編集資料の作成と組版・印刷において、王子エフテックスの方々にはより薄く高品質の本文用紙の開発・抄造において、牧製本印刷・松岳社の方々には堅牢で使いやすい造本において、多大なるご尽力をいただいた。
(略)
奥付裏)
本文用紙 王子エフテックス株式会社
表紙用クロース ダイニック株式会社
見返し・カバー用紙 特種東海製紙株式会社
本文製版 株式会社DNPメディア・アート
本文印刷 大日本印刷株式会社
扉・函印刷 株式会社精興社
製函 株式会社加藤製函所
製本 牧製本印刷株式会社