ススキを探しに

璃葉

今日は中秋の名月なのね、ということばを聞いて空を見上げれば、限りなくまるに近い月が雲間に輝いている。雨ばかりの毎日に少しうんざりしていたということもあり、暫し立ち止まって月を見た。

子供の頃、「お月見」という風習にとても憧れていた気がする。
ススキと積み上げた団子の山をお供えするということをテレビかなにかで知ったのか、母にお月見をしたいとしつこくおねだりしていた。無論、目当ては団子である。実家は団子ではなく、ちいさな器に盛ったご飯とススキをお供えしていたが、母は仕方なく真っ白のお月見団子を作ってくれた。その一度で、私の団子への興味は失せたのだった。

団子のことはさておき、当時、ススキやススキによく似たオギが瞬く間に減少したことが問題になっていた。北米からやってきたキク科のセイタカアワダチソウが猛威をふるっていたためだ。河原や原っぱに生えた植物を食い尽くすように、イエローの花が辺りを覆っていた。そんな理由でセイタカアワダチソウをネガティブなものとして覚えていたけれど、漢字表記の“背高泡立草”を、私はなぜだか気に入っていた。

お月見が近くなると、兄は小学生の私を自転車の子供用チェアに乗せてススキを探しに行った。兄と私は13歳離れている。とてつもなくおもしろい人間なので、私は兄について書きたくて仕方がないのだけれど、本人が嫌がるのでここでは省略する。兄は鋭い嗅覚(?)でふだん人の入ることのない小さな空き地に踏み込んでゆき、いとも簡単にススキのかたまりを発見する。当時すでに絶滅危惧種だったニホンメダカやニホンザリガニもよく見つけていた人だ。ススキなんて朝飯前なのだ。

母は車を走らせているときにススキを見つけると、車を路肩に停めてわざわざ摘みにいっていたほどだった。そうでないときは車窓から見つめて、——ああ、まだここにはあるのね—— と安堵していた。

現在、ススキと背高泡立草の力関係がどうなっているのかは知らないし、今年はまだどちらも見かけていない。そもそもちゃんとした土のある場所がほとんどない。台風が去ったら、この忙しなく、歯止めがきかない街から離れて探しにいこうか。