古本屋

璃葉

東京でもっともおとずれている街は、神保町かもしれない。
けっしてきらびやかでなく、明るくない、古びた街だ。
ほかの街よりも、時間がゆっくり流れていて、なぜだか安心する。
ふらっと古本屋をめぐる。
心地のよい濃紺の影の気配を感じながら、たくさんの本と出会う。

この街の古本屋で、数年間働いていたことがある。
毎日汚れた本を磨き、見返しの上の方に、鉛筆で値段や状態を書き込む。
この地味な仕事にとくにやりがいはなかった。
本は陽射しを浴びてはいけないから、ほとんどの古本屋は日陰になる向きに店を構えている。店の雰囲気は常に薄暗い。
外に設置された本棚やワゴンに並べられた本を手に取ると、ヒヤリと冷たかった。

仕入れた古書にはだいたいシミやヤケ、カビやホコリのにおい、ひどいときは虫食い(たまに干からびた御亡骸)があるので、よい気分ではない。さわっているとパキパキと紙が破れ落ちてしまうぐらい、壊れかけている本もあった。
それでも100年以上前の本や変わった装丁の本を手にとって見ることができたり、ふしぎな従業員たちとの会話や客の観察は楽しいことだった。
今おもえば、かなり自由な職場だったかもしれない。
10時過ぎに出勤し、自分たちの好きな音楽をかけて、かるく掃除をして、コーヒーやお茶を飲みながら仕事をはじめる。2回の休憩をはさんで、だいたい18時50分には作業を終え、19時ちょうどには店を閉めて帰っていく。
給料はとても安く、保障もないのに、従業員は5年、もしくは10年以上働いているひとたちばかりだった。きっと居心地がいいのだ。
なかには「このぬるま湯に一生浸かっていたい」と発言する者もいた。
それぞれ持っているCDをかわるがわるかけて、作業をしながら、文学や詩や音楽、お酒のはなしをよくした。この道何十年のベテランのおじさんはよく鼻歌をうたい、スズランテープで本の山を十字に縛りながら、「お前さん、あの街のあの店はいい酒を揃えているから、こんど行ってみな」と教えてくれる。そのさまざまなお酒情報は、今でも役に立っている。
本を売りにくる客や買いにくる客も、滅多に見ることのできないような選りすぐりの変人ばかりだったので、話題には事欠かなかった。
店にはこれでもかと本が並べられ、床にも積まれ、あふれたものは倉庫行きとなる。
暗い木造の倉庫は、山のように積まれた本でひしめいていた。
独特なにおい。歩くたびに、床板がギシギシ鳴る。
小さな白熱灯をつけて暗闇を追い払っても、残る薄暗さ。
まるでふるい船倉のようだ。その場所で作業をしているときは、時間が完全にとまっているようだった。
きっと、あんな古本だらけの倉庫に行くことは二度とない(と思う)が、街をおとずれるたびに、時間の流れと、心地のよい影の気配を感じている。本は暗闇のなかでも生きつづけている。
働いていた店にもたまに立ち寄る。おもしろい本だらけで、やっぱり長居をしてしまうのだ。