太陽を喰べる月

璃葉

太陽、月、地球が一直線に並んだときに起こる日食。偶然のような必然の瞬間を見ることができるアメリカの一部地域は、異様な盛り上がりを見せていた。

飛行機を乗り継ぎ、ポートランド空港から街へ出れば、「Solar Eclipse on August 21, 2017」という文字や日食、皆既帯(皆既日食を見られる地域)の地図がプリントされたポスター、パネル、Tシャツなどがあちらこちらで目についた。ホテルでなんとなくテレビをつけてみたら、ニュースはやはり、その話題で持ちきりだった。− 決して肉眼で太陽を見てはいけません −と、何度もアナウンスしながら、インタビューや日食の仕組みを説明していた。日食に乗じたイベントも多く開催されていて、どこもお祭り騒ぎなのだ。

日食2日前、ポートランドからさらに小さな街へ移動するとき、夜明け前の低い空に一本の毛のような月が浮かんでいた。移動中のバスの中は天文に近しい人たちばかりだったから、いまにも消えてしまいそうな月を窓ガラス越しに撮影したり眺めたりしていた。あの月が新月になる日に、日食は起こるのだな、と思いながら、半目で空をぼうっと眺める。
か細い月は、閉じたまぶたのようにも見える。後ろの席に座っていたおばあさんのゆったりとした、空気のような囁きがじんわり耳に入ってきて、わたしはしばらく眠りについたのだった。
今にも こわれてしまいそうな月 そっとしておいてあげないと

当日、日食観測の準備は、薄明前からおこなわれた。冬のような寒さに震えながら(夜空には冬の星座がひろがっている)暗闇のなかで、みなさん器用に望遠鏡やカメラを設置していく。空には天の川が見え、金星が明るい。紙コップに注いだコーヒーの香りを吸い込みながらうろうろしているうちに、空はどんどん薄紫色になり、やがて太陽が顔を出し、世界を照らしていく。気温はぐんと上がって、日差しの強い真夏になった。街のひとたちが、丘の上や小高い場所に徐々に集まってきている。ビーチチェアに寝転がって待っているひともいた。街全体のざわめきが聞こえてくるようだった。

月が太陽にゆっくりかぶさっていく様子は、たいへん奇妙だった。新月が、太陽の光を喰べていく。太陽が欠けていくのを黒いフィルム越しに見つめながら、自分の立っている場所が、影の世界になっていくのがわかった。消えていく光によって夕暮れのような現象が起こり、気温も下がる。冷たい風が吹き、鳥たちが不安そうに上空を飛び回っていた。
月が太陽を完全に覆い尽くしたとき、街中から大歓声が聞こえる。およそ1分間だけの皆既日食だ。碧い空のなかに、まんまるの新月が黒く輝く。
太陽の光が影から漏れると、空は徐々に明るくなり、あっという間に夏の真昼にもどった。

紀元前585年に起こった皆既日食は、長期にわたって繰り広げられていた戦争をも中断させてしまったそうだ。たしかに、戦の最中に突然こんな現象が起これば、なにも知らない兵士たちはさぞかし戸惑ったのではないだろうか。壮大な宇宙のうごきのなかで人間同士が小競り合いをしているのは、どう考えても滑稽としか思えない。そもそもヒトが生きていること自体が、ふしぎなことかもしれない。