小さな泉から

璃葉

父が死んだ。2月15日の朝のことだった。
空には雲がひろがっていて、家の窓から入る冷たい光が父の顔を照らす。
今まで上下していた胸はもはやうごくことなく、まるで精密につくられた人形が横たわっているような、奇妙なものがそこにあるだけだった。息をしているわたしとしていない人の一対一の空間は、やけに静かだった。魂が抜けている、という意味を本能的に、初めて理解した。この体にもう父はおらず、正真正銘、どこかへ旅立ったのだ。反射的に涙が出てくるものの、そこまで悲しみはなかった。なぜなら、父はいよいよ容態が悪くなる前日まで、本当にたのしんで生きていたからだ。起き上がれず横になったままでも、せん妄が激しくなっても、首を少し起こして、たばことコーヒー、夜はビールとワインを飲んでいた。とてもうれしそうに。

去年の11月中旬に癌と告知された後日、生検をした父は退院するときに腕時計をなくしたと騒いでいた。むかしから使っていたものだ。看護師たちと一緒に探したが結局見つかることはなく、仕方なく年末にふたりで近くのホームセンターに腕時計を買いに行った。以前よりもずっと安物だけれど、文字盤が大きく見やすかったから、これでいいやという感じで選んだ。ついでにチューリップの球根もいくつか買う。思えばあれが父との最後の買い物だったのだ。

通夜と葬儀はあっという間に過ぎ、父が使っていた体はすっかり焼けて骨だけになった。お骨を箸で拾うとき、あまりにも太くて丈夫で、びっくりして思わず笑いがこみあげてしまった。太ももの骨なんてあまりにもしっかりと残っているものだから(ギャートルズに出てくるやつみたいだった)、壁に飾りたいぐらいだね、と身内で盛り上がる。
そもそも父の体を焼いている最中、待合室での親族の会話は本当に愉快だった。
叔母や兄たちから今まで聞いたことのない、若かりしころの父の話がどんどん出てきて、父という役割を外れて彼がどんな人だったのか、ほんの少しだけわかった気がした。

数日が経ち、ゆるゆると実家の片付けをしているとき。何かのきっかけで父があまり使っていなかった眼鏡ケースを開けると、そこにはなんと、彼が病院でなくしたと騒いでいた腕時計が入っていた。シチズンの、しっかりとしたつくりの銀色の腕時計は、忘れられた小さなケースの中でちゃんと時を刻んでいたのだ。なんでこんなとこにあんねん、と呆れながら空中にぼやいてしまった。とりあえず仏壇に向かい、あったよ、と報告。

コーヒーとたばこをたのしみながら庭にあるオトメツバキと柚子の木、その向こうの、父が間伐した森を窓から眺める。むかし川底だった森の木と木の間から、陽が差している。まばらにたくさん、陽だまりができている。

泉を絶やすな、と言われたことを今でも覚えている。人との関わり方に悩んでいた何年か前のわたしにそう言い放った。数えきれない人とのつながりにこだわるより、自分のなかに湧き出る小さな泉とのつながりに焦点を、と。泉とは言わずもがな、創造のことだ。今思えば、あれは彼が自分自身に言い聞かせていたような気もする。

父は今、どこにいるのだろう。目も足腰もようやく自由になったわけだから、きっと世界中を文字通り飛びまわって、音の旅をたのしんでいるはずだ。その話はそのうち向こうで聞かせてもらうとして、わたしはわたしで、こちらの世界の時間をたのしむことにする。