水牛の寄稿を一回、お休みしました。
すると日本語が泣いています。
あわてて私は日本語にふたをしました。
ふたがやってくる 眠る代わりに
ありあわせの図鑑で「ふた」をすると、
もっとはげしく泣くのです。
貞和(ていわ)さん、冷たいあなたの教室、
にんげんの日本語はさらにはげしく泣きます。
短歌でも 俳句でも、
泣きやまない日本語の図鑑です。
泣き疲れて、それでも刻(とき)は移り、
ページにしたしたしたと涙のしずくが伝います。
大泣きのあなた、詩は書けなくなって、
したしたしたと図鑑のなかから声のしたたり。
海底の草むらに草のかげりがさすと歌って、
ひとびとは逝きました。 泣きはらしてわたしから、
あなたがいなくなる。 地上のすべてから径がなくなる。
涙のあとを航路にして伝わるページに、
考えてもみてください、おおうみは、
すべてのあなたの紅涙です。 まっ赤な海底に、
眠らないで。 独り寝の露を溜めてにんげんの古今集が、
呼びかけています。 袖を濡らして、
詩はどこへ行ったのでしょう。 紀貫之が、
泣いたのは大和物語でしたか、泣いてよいのです。
伊勢物語でしたか、もうだれからも読まれなくなり、
孤独に泣いています。 にんげんの古典に夕潮の満ちくるけはい。
大声が満ちてくる夕暮れの湾。 松風が、
明石海峡を越える、泣きながら。
俊太郎さん 助けてください。
片足を貝が食い散らす連句の涙、和歌の川、
尽くして終わるわたしどもの歌語、
うたまくら、浮くシーツ。
流れて去るわたしの天の川、……尽くして、
どこかでふたたび出逢うことになるでしょう。
そのときまで日本語よ、
続くことを祈っています。
(原豊二『スサノオの唄(山陰地方の文学風景)』〈今井出版、2020〉の目次。――米子の風/因幡の土/東伯耆の空/西伯耆の山/出雲の汐/吉備の丘/古典の海原/大陸の朝焼け。詩みたいで、うっとりする。副題は要らないな。「アリストテレスのほうが冷静だけど、プラトンが感じた恐ろしさが問題ですよね。芸術をを持ち出すことで人が死ぬこともある。教育で人も作っちゃう。……プラトンはNOと言う」納富信留〈『短歌って何?と訊いてみた』川野里子対話集、本阿弥書店、2025〉。川田順造は日本口承文芸学会名の英訳を考案するに際し、フォーク・ナラティヴでなくオーラル・アートを提案していたという。高木史人の情報から。「編集者から読者へ」を十八ページ付載した『未来からの遺言』伊藤明彦の仕事1〈水平線、2024〉は、読み終えて刊行の趣旨に理解がとどく。「民主主義の死」「匂いとともに棘で刺す」「霧と少女」「病院に爆弾を落とすな」『世界の起源の泉』〈岡和田晃、SFユーステイティア、2024〉)。